姫金魚草
三国恋戦記中心、三国志関連二次創作サイト
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狼二匹に兎が一匹(孟徳)
刃の傷から回復してから、花は以前と同じように文若の元で施政を手伝うことを望んだ。
「身体が完全に治るまでは、じっとしてくれないと心配だよ」
しゅんと眉を下げた顔で言う孟徳と、「働かざるもの食うべからずです!」と主張する花との妥協点は、花が部屋で読み書きを学びつつ急ぎでない書類に目を通す、というものだった。
以来、孟徳は執務室を抜け出し、花の部屋を訪ねることが多くなったわけだが――
* * *
「花ちゃん、お土産だよ!」
いつものように部屋にやってきた孟徳は、手にたくさんの赤い果実を抱えていた。
「わ、……わぁ、すごい、林檎ですね」
「林檎? 君の国にも、これと同じ果実があったの?」
花が書簡を片付ける間もなく机に果実を撒いた孟徳は、向かいに座って首を傾ける。
「はい。あ、私、これを剥くのが得意なんですよ! 皮を切らずに剥けるんです」
唯一の特技である。胸を張って言った花に、へぇ、と感心したような声をあげた孟徳は、いつもの好奇心に溢れた顔で、用意していたらしい小刀を取り出した。
「ほんとは、君に刃物なんて触らせたくないんだけど」
「大丈夫ですよ! こう見えても器用なんですから」
こちらに来てから、林檎などはじめて見た。うきうきと小刀を手にとった花は、手馴れた様子でくるくると林檎を剥いていく。
「……おおー……すごい。ほんとに皮が切れない。これ、どっかの特産らしくてさ。貢物として貰ったんだけど、これは、ちゃんと褒章与えないとな。おいしいの?」
「勿論ですよ! このままでも美味しいけど、砂糖で煮たりしても美味しいんですよ。長持ちしますし」
「へぇ……うわ、あっというまに赤くなくなった。ね、食べさせてよ」
かぱ、と孟徳が口をあける。普段なら恥ずかしがる花も、弟に林檎を剥いてやった時のことを思い出してか、そのまま刃で身を削り取って孟徳の口に放り込んでやった。
「ん。……うわ、ほんとだ。あまくてすっぱくて、おいしいねぇ」
驚いたように目を見張る孟徳の前で、花も一切れ口に入れる。現代のものよりも甘みは劣るが、そのぶんみずみずしく爽やかな香味が口いっぱいに広がった。
「おいしいですね!」
「うん、そうだねぇ」
にこにこと笑顔を交わしながら、あっという間にひとつ平らげてしまう。二つ目を剥こうと手にとったところで、花はふと思いついて、林檎を六等分に切り分けた。
「ん? こんどは綺麗に剥かないの?」
「はい。私の国では、こうやって……」
切り分けた欠片にV字に切れ込みをいれ、半分だけ皮を剥くようにする。
なになに、と興味深々のていで身を乗り出した孟徳に、じゃん、と掌に載せた林檎を差し出した。
「さて、なんでしょう」
つん、とあかい皮の部分がふたつ尖って残されている。自信満々に差し出されたそれに、孟徳は一瞬だけ首を傾けて、それから、悪戯めいて花を見上げた。
「……当てたら、なにか賞品があるの?」
「え」
想像していなかった言葉に、花が目を瞬く。孟徳はにぱ、と笑って、つん、と林檎の先をつついた。
「じゃあ、当てたらこれ、花ちゃんの手で食べさせてね」
「? いいですよ」
さっきもやったし、と不思議そうにする花は、「はい、あーん」の状態に気がついていない。決まりね、と笑った孟徳は、自信満々に答えた。
「兎、でしょ。これが耳で、ちょっと飛び跳ねてるように見えるよね」
「はい、正解です」
楽しそうに笑う孟徳につられて、花もついつい笑顔になる。
「じゃ、はい、あーん」
先程と同じように、孟徳が口をあける。花は先程と同じように林檎を差し出した。
が。
「……?」
孟徳の手が、花の手を掴む。孟徳はそのまま兎の林檎をかじり、飲み込み、花の指先に口付けた。
「……!」
花の顔が、一気に朱に染まる。
「も、孟徳さん!」
「はは、ごめんごめん。……林檎みたいな顔してるよ」
「え、」
「真っ赤で、かわいい」
ぺろり、と花の指先を舐めながら、孟徳はそんなことを言った。
勿論、花の顔はもっと赤くなり――孟徳はその日、それ以上林檎を口にすることはできなかった。
* * *
「……ああ、丞相。これは、城下からの報告なのですが」
数日後。
政務の最中、許都の情勢についての報告をしていた文若が、なにげない風に口を開いた。
「この間献上された果実が、許都で大いに売れているそうで」
「……?」
たかが一作物の売れ行きをわざわざ報告するとは何事か。
不思議そうに先を促した孟徳の前で、文若は真面目腐った顔で続けた。
「なんでも、兎の形に切った食べ方が、『花兎の果実』として人気を誇っているとか……」
実は私も、この間頂いたのですがね。
誰からとは言わず、僅かに笑みさえ浮かべて付け加える。
そんな文若の言葉を最後まで聞かずに、孟徳は執務室を飛び出した。
俺はあれ以来食べさせてもらってないのに、という呪詛の声が聞こえたような気がするが、まあ、空耳だろう。
「……丞相、まだ仕事が残っているのですが? ……聞いていないということで、こちらで処理しますね」
「……お前もいい性格になってきたな、文若……」
書簡をまとめながらの文若の言葉に、孟徳の脇で控えていた元譲が溜息をつく。
今頃愛しの軍師に向かって兎林檎を強請っているであろう主の姿を思い浮かべ、二人は楽しげに笑ったのだった。
(この時代に林檎が珍しかったのかとか、何処で取れたのかとか、そういう細かいことは気にしちゃいけません!)
(そろそろタイトルに偽りあり。)
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懐かれすぎて、食べられない(玄徳)
押さえていた想いが、彼女の言葉で溢れ出す。
彼女の涙。零れる涙。堪え切れなかった口付けの先で、彼女は確かに俺を選んでくれた。
帰さなければいけないと思っていた。
家族の下へ。彼女のいるべき世界へ。
彼女の幸せのために。
けれど彼女は、あんなふうに泣いて、俺を好きだと言ったのだ。
* * *
控えめな扉の音は、それだけで彼女の音だと知れる。
「……、ん、誰だ?」
けれど、気付いていることを知られるのは面映いから、いつもこう尋ねる。
「花です。師匠からの書簡を届けに伺いました」
すっかり助手役が板についた彼女が答えるのは、もう、儀式のようなものだ。
花は知らない。自分への用件に限って、孔明が直接玄徳に使わせるのを。
あの、弟子の幸せを願う師匠は、聡明すぎて、恋路を邪魔することも出来ないのだ。
「ああ、入ってくれ」
おずおずと扉を開けて、花が姿を現す。軍師服も板について、一人前の文官の顔をしている。
もはや我が軍に彼女の才を認めないものなどいない。それなのに彼女がいつも一歩引いているのが、いじましく、可愛らしいと思う。
「荊州の件と、こちらは、献帝への献策について――直接お話がしたいとのことでした」
「ああ、わかった。目を通して……夜に伺うと伝えてくれ。日中は空きそうにないからな」
「はい、師匠もそう言っていました。玄徳様は武のお方だから、急かすなと」
「……見越されているな」
苦笑すると、花が小さく笑う。
「机の前にいるような方ではないのを、縛り付けているのだと笑ってました」
「本当に、お前の師匠はなんでもわかっているな。……遠くに駆けていきたい気分になる」
玄徳は元々、一介の傭兵であり、侠の者に過ぎない。為政など、孔明の助けがなければ、とてもつとまってはいないだろう。溜息とともに呟くと、花は困った顔をした。
「ああ、そんな顔をさせたいわけではなかったんだ。心配せずとも、仕事はきちんとやるさ」
「……、……でも」
「ん?」
花は困ったような顔のまま、書簡を棚に揃え、玄徳を見る。
「それで、玄徳さんが――そんな顔をしているのは、いやです」
「――」
目を瞬いた玄徳の前で、花は続ける。
「最近、難しい顔ばかりしているような気がして、……お仕事、さぼったらいけないのはわかるんですけど、……なんだか……」
つらそうです、と。
そちらのほうがよほどつらそうな顔で、花は呟いた。
「……」
「……! ごめんなさい! 玄徳さんだって忙しいのに、そんな」
「……いや」
慌てる様に、笑みが零れた。
「俺のことを、心配してくれているのだろう?」
からかうように言うと、見る間に顔が赤くなる。手招きすると、赤い顔のままに近付いてくる。
「……心配しちゃ、だめですか」
「いや。うれしい」
「……」
素直に答えると、さらに顔が赤くなった。手を伸ばすと、警戒もなくさらにこちらへ近付いてくる。
――撫でられると、思っているのかもしれない。
「――!」
そのまま伸ばした手で花の腕を掴み、引き寄せる。急なことに体勢を崩した身体を支えつつ、顔を寄せた。
「、玄徳さ、」
「……かわいいことばかり言う、お前が悪い」
「え、……っ!」
触れ合った唇は温かく、柔らかい。
目の前に真っ赤になった可愛らしい顔がある。笑みをつくると、怒っていいのかどうしていいのかわからないような顔をする。そんな反応をするから、付け上がらせる。
「……」
「……どうした?」
「……師匠から、……たまには遠乗りとかしたいかもね、って……言われた、んですけど」
孔明がそう言うという事は、つまりお許しだ。驚いた玄徳の前で、花は精一杯と見た目でわかる虚勢を張って、言葉を続けた。
「玄徳さんは元気そうだから、必要なさそうだって、言っておきます」
口をへの字に曲げても、顔が赤くては説得力が無い。そう指摘しようかとも思ったけれど、彼女に対してはより効果的な策があるのを、玄徳は既に知っていた。
「それは残念だな。……そろそろ、花が見頃の場所を知っているのだが」
「……そんなこと言ったって」
「一緒に、行ってくれないのか?」
「……!」
わざと眉を下げてみせるのを、大人の技だと許して欲しい。花は赤い顔のまま、困ったような、緩んだような顔をする。
「孔明には、俺が怒られておくから」
「……」
「一緒に行こう」
優しい少女は、下手に出られると断れない。まして今は、政務に疲れた玄徳の身を案じている。
「……な?」
駄目押しのように手を握る。
困って俯いた愛しい少女が、了承の変わりに手を握り返すまで、僅か数刻も必要としなかった。
(……ああ、こんな風だから)
(こんなふうに、意のままになってしまうから)
「……玄徳さん?」
「……いや。かわいいな、花は」
次の口付けは額へと。
だからこれ以上進めないのだと、もしかしたらこんな風に息を抜かせるのも過保護な師匠の策略かと思いながら、玄徳は優しく唇を落とした。
彼女の涙。零れる涙。堪え切れなかった口付けの先で、彼女は確かに俺を選んでくれた。
帰さなければいけないと思っていた。
家族の下へ。彼女のいるべき世界へ。
彼女の幸せのために。
けれど彼女は、あんなふうに泣いて、俺を好きだと言ったのだ。
* * *
控えめな扉の音は、それだけで彼女の音だと知れる。
「……、ん、誰だ?」
けれど、気付いていることを知られるのは面映いから、いつもこう尋ねる。
「花です。師匠からの書簡を届けに伺いました」
すっかり助手役が板についた彼女が答えるのは、もう、儀式のようなものだ。
花は知らない。自分への用件に限って、孔明が直接玄徳に使わせるのを。
あの、弟子の幸せを願う師匠は、聡明すぎて、恋路を邪魔することも出来ないのだ。
「ああ、入ってくれ」
おずおずと扉を開けて、花が姿を現す。軍師服も板について、一人前の文官の顔をしている。
もはや我が軍に彼女の才を認めないものなどいない。それなのに彼女がいつも一歩引いているのが、いじましく、可愛らしいと思う。
「荊州の件と、こちらは、献帝への献策について――直接お話がしたいとのことでした」
「ああ、わかった。目を通して……夜に伺うと伝えてくれ。日中は空きそうにないからな」
「はい、師匠もそう言っていました。玄徳様は武のお方だから、急かすなと」
「……見越されているな」
苦笑すると、花が小さく笑う。
「机の前にいるような方ではないのを、縛り付けているのだと笑ってました」
「本当に、お前の師匠はなんでもわかっているな。……遠くに駆けていきたい気分になる」
玄徳は元々、一介の傭兵であり、侠の者に過ぎない。為政など、孔明の助けがなければ、とてもつとまってはいないだろう。溜息とともに呟くと、花は困った顔をした。
「ああ、そんな顔をさせたいわけではなかったんだ。心配せずとも、仕事はきちんとやるさ」
「……、……でも」
「ん?」
花は困ったような顔のまま、書簡を棚に揃え、玄徳を見る。
「それで、玄徳さんが――そんな顔をしているのは、いやです」
「――」
目を瞬いた玄徳の前で、花は続ける。
「最近、難しい顔ばかりしているような気がして、……お仕事、さぼったらいけないのはわかるんですけど、……なんだか……」
つらそうです、と。
そちらのほうがよほどつらそうな顔で、花は呟いた。
「……」
「……! ごめんなさい! 玄徳さんだって忙しいのに、そんな」
「……いや」
慌てる様に、笑みが零れた。
「俺のことを、心配してくれているのだろう?」
からかうように言うと、見る間に顔が赤くなる。手招きすると、赤い顔のままに近付いてくる。
「……心配しちゃ、だめですか」
「いや。うれしい」
「……」
素直に答えると、さらに顔が赤くなった。手を伸ばすと、警戒もなくさらにこちらへ近付いてくる。
――撫でられると、思っているのかもしれない。
「――!」
そのまま伸ばした手で花の腕を掴み、引き寄せる。急なことに体勢を崩した身体を支えつつ、顔を寄せた。
「、玄徳さ、」
「……かわいいことばかり言う、お前が悪い」
「え、……っ!」
触れ合った唇は温かく、柔らかい。
目の前に真っ赤になった可愛らしい顔がある。笑みをつくると、怒っていいのかどうしていいのかわからないような顔をする。そんな反応をするから、付け上がらせる。
「……」
「……どうした?」
「……師匠から、……たまには遠乗りとかしたいかもね、って……言われた、んですけど」
孔明がそう言うという事は、つまりお許しだ。驚いた玄徳の前で、花は精一杯と見た目でわかる虚勢を張って、言葉を続けた。
「玄徳さんは元気そうだから、必要なさそうだって、言っておきます」
口をへの字に曲げても、顔が赤くては説得力が無い。そう指摘しようかとも思ったけれど、彼女に対してはより効果的な策があるのを、玄徳は既に知っていた。
「それは残念だな。……そろそろ、花が見頃の場所を知っているのだが」
「……そんなこと言ったって」
「一緒に、行ってくれないのか?」
「……!」
わざと眉を下げてみせるのを、大人の技だと許して欲しい。花は赤い顔のまま、困ったような、緩んだような顔をする。
「孔明には、俺が怒られておくから」
「……」
「一緒に行こう」
優しい少女は、下手に出られると断れない。まして今は、政務に疲れた玄徳の身を案じている。
「……な?」
駄目押しのように手を握る。
困って俯いた愛しい少女が、了承の変わりに手を握り返すまで、僅か数刻も必要としなかった。
(……ああ、こんな風だから)
(こんなふうに、意のままになってしまうから)
「……玄徳さん?」
「……いや。かわいいな、花は」
次の口付けは額へと。
だからこれ以上進めないのだと、もしかしたらこんな風に息を抜かせるのも過保護な師匠の策略かと思いながら、玄徳は優しく唇を落とした。
01 望みを叶えてあげましょう
三度目にして初の過ちだった。
翼徳に策を伝え忘れた長坂。引き返したら恐らく、孟徳の手に落ちる。しかし、策を伝えなければ、翼徳が命を落とすかもしれない。
躊躇いは一瞬だった。
「――孔明!?」
雲長の驚愕の声が聞こえる。振り返っている余裕は無かった。
そのときはただ――思っていた。最初と同じ。歴史を変えるには至らない邂逅だと、駒としての役割に変わらず殉じられると、――四度目の長坂で、もはや孔明と呼ばれることにも慣れきった花は――そう、信じて疑っていなかった。
* * *
「君が、孔明だね」
通された謁見の間で、記憶と違わぬ笑みを浮かべて、孟徳は言った。
あの時とは立場が違うのに、彼は変わらぬ笑顔を向けるのか。少し驚いた。あの時は玄徳軍の居候に過ぎなかったが、今は明確に『軍師』である。それとも曹孟徳にとっては、どちらにせよ取るに足らぬ話なのだろうか。
「はい。助けていただいて、感謝します」
しかし同じように、あの時と変わらぬ反応を返すことは出来ない。花は丁寧に述べて、頭を下げた。
「丞相の気紛れに感謝するんだな、……と、言っても、こちらとしても、尋ねたいことがあるから助けたに過ぎんが」
「こら、文若。女の子を怖がらせるようなこと言わないの」
「……お言葉ですが、彼女はただの少女ではありません。かの有名な伏龍――諸葛孔明なのですよ」
「だとしても、可愛らしい女の子だってことに、変わりは無いでしょ」
孟徳はあっさりと文若の言葉を跳ね除けて、花に向かって笑いかけた。
「ごめんね、うるさい奴で。確かに聞きたいことはあるけど、気が向いたら話してくれればいいよ。勿論解放するわけにはいかないから、立場上は捕虜ってことにさせてもらうけど、女の子を拘束したりはしないし」
花は礼とともに頭を垂れた。数週間の後に、子龍が助けにやってくるだろう。それまでの短い付き合いだ。ただあの部屋で、安穏と時を過ごしていればいい。女の子、と呼ばれたことにこそ抵抗があるが(童顔に見えるとはいえ、花はもう孟徳らと同じくらいの歳なのだ――17歳だったあの時とは違う)、ただ孟徳の機嫌を損ねぬようにしていればいい。
「……うーん、なんでかなぁ」
「……? ……なんでしょう?」
「君は、不思議な目をするよね。なんでも知っているみたいな目だ」
「……」
ひやりとした。
曹孟徳と言う男――そこで、彼についての知識が、圧倒的に不足していることに気がついた。魏で過ごしたのはごく短い期間で、しかもあのときの花は何も知らなかった。曹孟徳は、天下に一番近い男だ。こちらが未来の全てを知り、駒を運んだつもりでも――なにが、計算から外れるかわからない。
「……何をおっしゃいますやら。私がなんでも知っていたら――ここでこうして、囚われることなど無かったでしょう」
警戒とともに、見た目だけは柔らかく紡いだ言葉に、孟徳が目を眇めた。そちらこそ、何もかも、見透かすような目をしている。空気をまさぐるような沈黙の後に、孟徳がにこりと笑った。
「天下の伏龍――なんて呼び名に興味は無いけど、君はとっても興味深いな。今すぐにでも口説きたいところだけど――」
ちら、と、後ろに控える二人を見やる。
「煩いのがいるからね。あとで部屋を訪ねていくよ。何か不便があったら言ってくれれば、出来ることなら対応するから。気軽に滞在してくれると嬉しいな」
「……お心遣い、感謝します」
頭を下げる。彼が記憶より饒舌なのは、私が彼に似たからだろうか。詮無いことを考えながら、あてがわれた部屋へと戻った。
* * *
「丞相」
「危険だって言いたいんだろ? わかってるよ」
とがめだてする文若の声に、面倒くさそうに孟徳は答えた。
「でもねぇ……あれが、嘘じゃないんだもんなぁ。気になるよなぁ」
「はい?」
「んー、なんでもない。まぁ、害になるようだったら切り捨てれば良いし、伏龍の才、使えるようなら使えば良いし。そう怒るなよ」
孟徳は楽しげに笑った。
(何でも知っていたら――囚われることなど無かった?)
(嘘つきだね)
(君は――なんでも知っていて、囚われた、ってことか)
彼女が本当に、何でも知っているとしたら。
「……面白いことになるといいなぁ」
孟徳は呟き、両脇の二人は、また主君の悪い病が出たと――一人は眉間の皺を深くし、一人は溜息をつくのだった。
翼徳に策を伝え忘れた長坂。引き返したら恐らく、孟徳の手に落ちる。しかし、策を伝えなければ、翼徳が命を落とすかもしれない。
躊躇いは一瞬だった。
「――孔明!?」
雲長の驚愕の声が聞こえる。振り返っている余裕は無かった。
そのときはただ――思っていた。最初と同じ。歴史を変えるには至らない邂逅だと、駒としての役割に変わらず殉じられると、――四度目の長坂で、もはや孔明と呼ばれることにも慣れきった花は――そう、信じて疑っていなかった。
* * *
「君が、孔明だね」
通された謁見の間で、記憶と違わぬ笑みを浮かべて、孟徳は言った。
あの時とは立場が違うのに、彼は変わらぬ笑顔を向けるのか。少し驚いた。あの時は玄徳軍の居候に過ぎなかったが、今は明確に『軍師』である。それとも曹孟徳にとっては、どちらにせよ取るに足らぬ話なのだろうか。
「はい。助けていただいて、感謝します」
しかし同じように、あの時と変わらぬ反応を返すことは出来ない。花は丁寧に述べて、頭を下げた。
「丞相の気紛れに感謝するんだな、……と、言っても、こちらとしても、尋ねたいことがあるから助けたに過ぎんが」
「こら、文若。女の子を怖がらせるようなこと言わないの」
「……お言葉ですが、彼女はただの少女ではありません。かの有名な伏龍――諸葛孔明なのですよ」
「だとしても、可愛らしい女の子だってことに、変わりは無いでしょ」
孟徳はあっさりと文若の言葉を跳ね除けて、花に向かって笑いかけた。
「ごめんね、うるさい奴で。確かに聞きたいことはあるけど、気が向いたら話してくれればいいよ。勿論解放するわけにはいかないから、立場上は捕虜ってことにさせてもらうけど、女の子を拘束したりはしないし」
花は礼とともに頭を垂れた。数週間の後に、子龍が助けにやってくるだろう。それまでの短い付き合いだ。ただあの部屋で、安穏と時を過ごしていればいい。女の子、と呼ばれたことにこそ抵抗があるが(童顔に見えるとはいえ、花はもう孟徳らと同じくらいの歳なのだ――17歳だったあの時とは違う)、ただ孟徳の機嫌を損ねぬようにしていればいい。
「……うーん、なんでかなぁ」
「……? ……なんでしょう?」
「君は、不思議な目をするよね。なんでも知っているみたいな目だ」
「……」
ひやりとした。
曹孟徳と言う男――そこで、彼についての知識が、圧倒的に不足していることに気がついた。魏で過ごしたのはごく短い期間で、しかもあのときの花は何も知らなかった。曹孟徳は、天下に一番近い男だ。こちらが未来の全てを知り、駒を運んだつもりでも――なにが、計算から外れるかわからない。
「……何をおっしゃいますやら。私がなんでも知っていたら――ここでこうして、囚われることなど無かったでしょう」
警戒とともに、見た目だけは柔らかく紡いだ言葉に、孟徳が目を眇めた。そちらこそ、何もかも、見透かすような目をしている。空気をまさぐるような沈黙の後に、孟徳がにこりと笑った。
「天下の伏龍――なんて呼び名に興味は無いけど、君はとっても興味深いな。今すぐにでも口説きたいところだけど――」
ちら、と、後ろに控える二人を見やる。
「煩いのがいるからね。あとで部屋を訪ねていくよ。何か不便があったら言ってくれれば、出来ることなら対応するから。気軽に滞在してくれると嬉しいな」
「……お心遣い、感謝します」
頭を下げる。彼が記憶より饒舌なのは、私が彼に似たからだろうか。詮無いことを考えながら、あてがわれた部屋へと戻った。
* * *
「丞相」
「危険だって言いたいんだろ? わかってるよ」
とがめだてする文若の声に、面倒くさそうに孟徳は答えた。
「でもねぇ……あれが、嘘じゃないんだもんなぁ。気になるよなぁ」
「はい?」
「んー、なんでもない。まぁ、害になるようだったら切り捨てれば良いし、伏龍の才、使えるようなら使えば良いし。そう怒るなよ」
孟徳は楽しげに笑った。
(何でも知っていたら――囚われることなど無かった?)
(嘘つきだね)
(君は――なんでも知っていて、囚われた、ってことか)
彼女が本当に、何でも知っているとしたら。
「……面白いことになるといいなぁ」
孟徳は呟き、両脇の二人は、また主君の悪い病が出たと――一人は眉間の皺を深くし、一人は溜息をつくのだった。