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姫金魚草

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孤独の神 (孟徳)(Good後)

(GOOD後)


(ああ、これは、何時もの夢だ)
繰り返し同じ夢を見た所為で、もう、最初の景色を見た瞬間に、この夢だと知れるようになった。
昏い荒野の中に佇んでいる。吹く風には血の匂いが混じり、踏みしめた地は腐り掛けた死体で埋め尽くされている。本当だったら群がる野犬や禽でこちらの身も危ないはずで、だからこれは夢だと知れた。
「……孟徳」
しばらくそうしてぼんやりしていると、地から声が沸きあがってくる。ぼこり、と蠢いたものが何かは確認せずともわかっている。自分の名を呼ぶ声も、一つ目は決まって同じ声だった。
「孟卓」
なんだかもうこの夢にも慣れ親しんでしまって、懐かしいような気さえした。足首をぐずりとした纏わりついて、掴まれたのだと知る。見下ろすと、知る面影の残る、半ば崩れた亡者の顔があって、笑ってしまいたくなった。
地の蠢動は収まらない。むくりむくりと、腕を伸ばし、体を起こす――地を埋め尽くす亡者の群れは、確かに全て、孟徳が直接にせよ間接にせよ、殺してきたものたちだった。
「本初、恭祖、……奉先は死んでもでかくて怖いなぁ」
昔の友、親の敵、手ごわかった敵。
数え上げればきりが無い――孟徳の覇道を鮮やかに染める沢山の血。
亡者達はかぱりと口をあけて、くらいくらい、暗闇に繋がるような口腔の奥から、しゃがれた声を吐き出した。

「曹孟徳。……お前は誰も信じない。誰も、愛さない」

怨嗟の声は、呪いだった。魂も凍りつくような、冷たい死の呪い。
けれど孟徳は、困ったように苦笑した。
何も返せないのだと、知っていた。もう違うとは、言えなかった。それは余りに都合のいい転身で、更に言うなら、本当にそうだとも言い切れないのだ。
黙り込んだ孟徳に、我等のようになりたくないならばと、低い声がさざめきささやいた。
いつもはここで終わりなのだ。声が同じ繰り返しを、刷り込むように囁くうちに、いつの間にか目が覚めている。やりすごそうと、目を閉じる。
一時期はこの夢さえも、笑って流せてしまっていた。戒めだと思っていたのだ。誓いが自分に見せる夢だと。
けれど今は。今は彼らを見るのが苦しい。それはとても人間らしい痛みだ。脳裏に閃いた姿が、曹孟徳を人間にした。
思いながら目が覚めるのを願う――しかし、今日の彼等は、普段よりもしつこかった。

「曹孟徳。……お前は誰からも信じられない」

しゃがれた声が、聞いたことのない台詞を吐いた。

「誰からも、愛されない」

ぞくり、と。
掴まれた足元から、死者の冷気が這い登ってきたような気がした。そんなことも。そんなこともわかっていると、返すつもりの声がでてこない。喉奥から漏れてくるのは、喘ぐような空気だけだ。
瞼の向こうに描いていた姿が、ぶれるように消えてしまう。それが怖くて、必死できつく目を閉じ続けた。
誰も信じなかった。誰も愛さなかった。
だから、誰からも信じられないし、誰からも愛されないのだ。
当たり前だと、頷いてしまうような言い分だった。はやく。はやく目が覚めればいいと、祈るように願うように、縋るようにそう思った。


* * *


「……さん、孟徳さん!」
「……っ」
目が覚めたとき、自分の身体がじっとりと濡れていてぞっとした。
夢で触れられた名残かと思ったのだ。――無論そんなはずはなく、それは悪夢の名残の冷や汗だった。目覚めて後呆然とする孟徳を気遣うように触れる手がある。
温かい手。……生きているものの手だ。
「……花、ちゃん」
「大丈夫ですか? 悪い夢を、見たんですか?」
暗い部屋。まだ夜も深い。起こしてしまったのだろうか。慌てて苦笑を作ると、なんでもないと答えた。
確かに悪夢だ。けれど、彼女に聞かせられるような内容ではない。
「たいしたことないんだ。ごめんね、起こしちゃって」
「いえ」
私は平気です、と頭を振った少女は、信じていない目でこちらを見た。
「魘されてました。……怖い夢、ですか?」
怖い夢、という響きがなんだか幼くて、笑ってしまう。確かに怖い夢だ。けれど彼女の柔らかな声で、怖い、などと言われると、幼い子供の見る類の悪夢のように思えてくるから不思議だった。
「そうだね。……すごく、怖い夢だったよ」
そうして夢だと口にしてしまえば、あれはただの夢だと、笑って話せるもののようにも思えた。花の身体を抱き寄せると、ふわりとやわらかな香りがした。これが彼女の香りだと、知っている。孟徳を安心させる、やさしい香りだ。
花の手がそっと、子供をあやすように孟徳を撫でる。どんな夢だったんですかと聞く声も、香りと同じように柔らかくやさしい。
「地獄の夢」
そう。あれはまさしく地獄だった。地獄、と繰り返した彼女には、恐らく想像もつかないだろう景色。
あれは覇者だけが見る地獄だと――確かに孟徳は知っていた。
「それは確かに、怖い夢ですね」
よしよし、と頭を撫でてくる手が、心地いい。まどろむ様に目を閉じて、――懺悔のように囁いた。
「ねぇ花ちゃん。……君を愛してるよ」
唐突な言葉に、驚いたのか一瞬手が止まる。けれど直ぐに、いつもの睦言だと思ったのか、手の動きを再開して小さく笑う。
「はい。私も愛してます」
あたたかく、やさしいものにつつまれて――胸が痛んだ。
自分の身には過ぎた幸福だと知っていた。

(誰にも信じられない。誰にも、愛されない)

先程の夢が瞬いて、消える。思わず、花の身体を抱く手に力が篭った。花はいぶかしむように手を止めて――今度はその手を背に回し、同じように強く抱きしめてくる。
「孟徳さん」
「……ん、ごめん、痛かった?」
「いえ。……ありがとうございます」
「……なにが?」
お互いを抱いたこの姿勢で、相手の表情は伺えない。花は睦言と変わらぬ甘い調子で言葉を続けた。
「愛してくれて。……信じてくれて」
「……」
「ひとりじゃないと――思い出してくれて」
甘く囁く彼女の言葉を理解するのに、少しの時間が必要だった。
思い出す、だなんて、不思議な言い回しをすると思った。ひとりじゃない、だなんて――思って、ああ、と、感嘆するように、理解した。
誰も信じない――誰も愛さない。それは、一人で生きるということで。
あの誓いを立てたときから、孟徳はずっとひとりだったのだ。
けれど今の孟徳は――目の前の少女を愛していたし、信じていた。
それは、信じること、愛することを知ったのではなくて――思い出したということなのだと、彼女は言ったのだ。
「愛しています、孟徳さん」
花はもう一度、大切そうにその言葉を口にした。
その幸福は――どうしても痛みを伴っていた。それでも確かに、孟徳は幸福だった。子供のようにすがり付いて、頷くことしか出来ない。

(俺も多分、そこに落ちるから)

だから許して欲しいだなんて――我侭すぎて自分でも、笑ってしまいそうになるけれど。
それでもこの腕の中にあるどうしようもない幸せを手放すことだけは、出来るはずがないのだった。














(元ネタ『ハンマーソングと痛みの塔』)
(と、ガラスの仮面の「ふたりの王女」)
(なんとなく思いついたので二通り書いてみました、という。)

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