姫金魚草
三国恋戦記中心、三国志関連二次創作サイト
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七夕 (玄徳)
蜀、とは言えない出来に。
花が、星が見たいと言った。
なんでも、故郷の祭なのだと言う。自慢ではないが、玄徳は流浪の暮らしが長いせいもあって、風習の類に強くない。こちらにもあるんですか、と訊ねられ、そのまま脇にいる孔明に尋ねると、博識な軍師はこう答えた。
「この時節の風習は、七針ぐらいしか知りませんね」
針仕事の上達を祈る風習だという。そちらには花が首を傾げて、どうしてそうなったのかわからないが、とかく、星見の流れとなった。
花は台所から、大きな盥を借りてきた。
「何に使うんだ?」
「水を張るんです」
「……いや、そうではなくてだな」
そりゃあ盥なんだから、水を張るだろう。困った顔をすると、花はふふ、と秘密めいた笑い声を上げて、結局何も答えなかった。
星を見るなら、灯りが少ないほうがいい。そんな話になって、城内から出て宴席を設けることになった。孔明は危ないですよ、と苦言めいたことを言ったが、宴だと話すと翼徳が乗り気になって、いつのまにやら芙蓉姫や子龍、荊州から丁度こちらに来ていた雲長も交えて大所帯になった。
少しひらけた丘からは、確かに星がよく見えた。
「……すごい」
花はぽかんと口をあけている。
「そうか? 冬の方が、星は美しいぞ」
「そうなんですか? ……こんなにたくさんの星、はじめて見ます」
花の目は零れ落ちんばかりに見開かれている。野営に慣れた身としては珍しいものではないが、子供のような所作が可愛らしくて口元が綻ぶ。玄徳と同じく星など珍しくも無い面々は、さっさと興味を酒と肴に移して宴会をはじめている。
けれど花は、ただぼうぜんと、星空を見上げているばかりだ。
「首が痛くなるぞ」
「だって、目が離せなくて」
「そうか。ふむ、そうだな」
もしかしたら向こうでは、こんなふうにひらけた場所で、星を見ることは少ないのかもしれない。そうであれば、とくにこの季節の川か何かのように多く瞬く星は驚きだろう。子供のように夢中になる姿にも頷ける気がして、それであれば、と玄徳は、夜風避けに羽織っていた上着を地面に敷いた。
「花」
「え、……はい?」
反応も鈍い。玄徳は一つ苦笑すると、花の身体を軽く抱き上げた。
「え? え? ……はい?」
「いいから、上を見てろ」
抱き上げた細い身体を、上着の上に下ろす。寝転がる姿勢にさせると、花の口から、わぁ、と感嘆ともつかない息が漏れた。
隣に、同じように寝転び、空を見上げる。
視界が、星で埋まる。小さな光が、数え切れないほど沢山、漆黒の空に浮かんでいる様は、まるで。
「……降ってきそう、ですね」
玄徳の心を読んだかのように、花がささやきのような声で言った。
「そうだな」
星だけが、見える。あまりに圧倒的な闇と光に包まれる。
「空に浮いているような感じがする」
背の土の感触は確かに現実なのに、見える世界がそれを否定するかのようだ。恐怖に近いような感覚で、目を閉じたくなる。思っていると、何かあたたかいものが、玄徳の手に触れた。
花の手だ。隣に顔を向けると、花が笑う。
こうしていればたしかに、二人で浮いているように思えた。手を握り返すと、花の笑みが深くなる。
宴の音が、遠い。空気を読まれているのかもしれないな、と思うが、それは心遣いに感謝すべきだろう。思っていると、花がす、と、繋いでいないほうの手をそらに向けた。
「私の国の逸話では、あの星と」
川のように見える光の群れの端、一際眩く輝く真白い星が一つ。指差す先に自然と目がいく。す、と、腕が動くのにあわせて、視線も動く。
「あの星は、恋人同士なんです」
二つの星は、光の群れを挟んで、随分離れている。寄り添って光るならまだしも、と、思ったのが届いたのだろうか。花は優しい物語を語るに相応しい、ゆっくりとした口調で、言葉を続けた。
「二人は、わるいことをして、離れ離れにさせられているんです」
「なるほど」
納得して頷く。と、不意に花が体を起こした。
「……ん?」
「そうだ、忘れてた」
ぱたぱた、と、玄徳を置いてけぼりにして、花は宴の方へと駆け出した。何がなんだかわからない、と思っていると、翼徳に頼んでいた水入りの盥を持って戻ってくる。
「ああ、それか。結局なんなんだ、それは」
「えっと……見えるかな……」
よいしょ、と可愛らしい声とともに盥を下ろして、花はそっと盥の中を覗き込んだ。玄徳も身体を起こして、同じように盥の中を覗き込んで、――驚いた。
水の中に、空が見える。
空の星と、水の星と。それはまるで、盥の中に空を捉えたかのようにも見えた。玄徳の前で、花は空と盥とを交互に見やり、なにやら位置を調整している。
やがて満足げに顔を上げて、なにやら得意げに玄徳を見る。
「……?」
首を傾げると、花はなにか大切なものを捧げるような仕草で、盥の両端を示した。
「何だ、……、」
問うて、直ぐに気付いた。
先程の星が二つ、端と端に揺らめいている。
花はそっと盥の端に手を掛けて、壊れ物でも扱うような所作で、ゆっくりと水面に波を作っていく。
「……、……なるほど」
それは、静かな世界だった。
ゆらりゆらりとゆれる水面が、丸い小さな世界にささやかな漣を立てて、――そうして二つの星は、ゆらめき、近付いていく。
「こうやって、……ふたりの恋人が会えるように願うんです」
花の小さな声は確かに、恋人同士を想うに相応しい優しさを持っていた。優しい願いだ。なんだか感じ入ってしまって言葉が出せないでいると、沈黙を呆れとでも取ったのか、それだけなんですけど、と、照れたように花が笑った。
「それだけなんですけど、……綺麗だと思いませんか」
「ああ。なんというか、……風情があるな」
似合わない台詞だと判っていたが、上手い言葉が見つからない。花は嬉しそうに笑って、小さな手を盥の中に入れた。
「それにこうすると、星が掬えそうで。なんだか好きなんです」
「たしかに、そうだな。……星を捕まえているようだ」
小さな小さな水の中に、大きな大きな空を入れる。つられて手を差し入れた盥の水はもう温く、二人分の手で水面は大きく揺れる。水の中で指先が触れて、意図する前に絡めとっていた。
ぱしゃ、と、水が跳ねる音がして、水面が大きく跳ねた。
「あ、」
揺れすぎた水面は、星を映さない。花が顔を上げて、悪戯を咎めるような表情をした。
「星が、」
見えません、と。
開きかけた唇を塞いだのは、こちらも別に、なにか意図してのことではなかった。
飲み込まれるような広い星空と。
掬えてしまうような狭い星空と。
二つの星空のそのどちらもが、今、花と玄徳二人のものだった。
広い世界と狭い世界と、そのどちらもで、二人きり。
そんな思いが玄徳を急かして、水が跳ねるのも花が身体を跳ねさせるのも、構わず身体を抱き寄せていた。
「玄徳、さん、」
「怒るなよ。……恋人の為の夜なんだろう」
「それは、空の」
「黙っていろ」
抗議の声は塞いでしまえば聞こえはしない。慌ててもがく細腕は、簡単に手で封じてしまえる。
強く抱いて、もう一度唇が重なる、その瞬間に。
わざとらしい咳払いの声が聞こえて、玄徳ははた、と、我に返った。
振り向きたくない。
しかし、振り向かざるを得ない。
「し、師匠」
「……何も召し上がっていないようでしたので、気を利かせたつもりだったのですが」
嘘だ。絶対、邪魔するつもりだっただろう。
とは、口が裂けても言えなかった。夜でもはっきりとわかるほどに頬を染めた花の脇で、玄徳はどうにか作った涼しい顔を孔明へ向ける。
「ああ、すまんな。星に夢中で」
「それは、貴方の手の中のですか」
「し、師匠……!」
わたわたと手を動かして、慌てた様子で離れようとする花を、腕の中に押し留める。孔明の眉が僅かに上がるのを見ながら、玄徳は笑って頷いた。
「そうだな。たしかに、それもある」
手の中の星。
掬い上げられるようで結局零れ落ちてしまう、水面の星とは違う星。確かに彼女はその呼称が相応しいほどに眩いのだ。
あまりにあっさりと頷いた玄徳に、孔明は表情を隠せない様子で、僅かに口元を引き攣らせた。しかしすぐに、呆れたように笑う。
「星を手にするとは、流石に大したお方だ。ゆめゆめ、失わぬよう」
笑いながらも、口調は何処か辛いものを含んでいる。気付かぬ体で笑うと、今度こそ孔明は、降参と言いたげに肩を竦めた。
「……まぁ、こんなに星の多い夜では。ひとつくらい、零れ落ちてきたのかもしれませんね」
星詠みに通じているとは思えない言い草だった。けれど確かに、星が落ちてきたといわれても、納得してしまうような気がした。花はただ顔を赤く染めて、何も言えないでいる。今は赤い星か、と、地上近く低く見える僅か赤く輝く星を目に留めて、玄徳は小さな笑いをこぼしたのだった。
なんでも、故郷の祭なのだと言う。自慢ではないが、玄徳は流浪の暮らしが長いせいもあって、風習の類に強くない。こちらにもあるんですか、と訊ねられ、そのまま脇にいる孔明に尋ねると、博識な軍師はこう答えた。
「この時節の風習は、七針ぐらいしか知りませんね」
針仕事の上達を祈る風習だという。そちらには花が首を傾げて、どうしてそうなったのかわからないが、とかく、星見の流れとなった。
花は台所から、大きな盥を借りてきた。
「何に使うんだ?」
「水を張るんです」
「……いや、そうではなくてだな」
そりゃあ盥なんだから、水を張るだろう。困った顔をすると、花はふふ、と秘密めいた笑い声を上げて、結局何も答えなかった。
星を見るなら、灯りが少ないほうがいい。そんな話になって、城内から出て宴席を設けることになった。孔明は危ないですよ、と苦言めいたことを言ったが、宴だと話すと翼徳が乗り気になって、いつのまにやら芙蓉姫や子龍、荊州から丁度こちらに来ていた雲長も交えて大所帯になった。
少しひらけた丘からは、確かに星がよく見えた。
「……すごい」
花はぽかんと口をあけている。
「そうか? 冬の方が、星は美しいぞ」
「そうなんですか? ……こんなにたくさんの星、はじめて見ます」
花の目は零れ落ちんばかりに見開かれている。野営に慣れた身としては珍しいものではないが、子供のような所作が可愛らしくて口元が綻ぶ。玄徳と同じく星など珍しくも無い面々は、さっさと興味を酒と肴に移して宴会をはじめている。
けれど花は、ただぼうぜんと、星空を見上げているばかりだ。
「首が痛くなるぞ」
「だって、目が離せなくて」
「そうか。ふむ、そうだな」
もしかしたら向こうでは、こんなふうにひらけた場所で、星を見ることは少ないのかもしれない。そうであれば、とくにこの季節の川か何かのように多く瞬く星は驚きだろう。子供のように夢中になる姿にも頷ける気がして、それであれば、と玄徳は、夜風避けに羽織っていた上着を地面に敷いた。
「花」
「え、……はい?」
反応も鈍い。玄徳は一つ苦笑すると、花の身体を軽く抱き上げた。
「え? え? ……はい?」
「いいから、上を見てろ」
抱き上げた細い身体を、上着の上に下ろす。寝転がる姿勢にさせると、花の口から、わぁ、と感嘆ともつかない息が漏れた。
隣に、同じように寝転び、空を見上げる。
視界が、星で埋まる。小さな光が、数え切れないほど沢山、漆黒の空に浮かんでいる様は、まるで。
「……降ってきそう、ですね」
玄徳の心を読んだかのように、花がささやきのような声で言った。
「そうだな」
星だけが、見える。あまりに圧倒的な闇と光に包まれる。
「空に浮いているような感じがする」
背の土の感触は確かに現実なのに、見える世界がそれを否定するかのようだ。恐怖に近いような感覚で、目を閉じたくなる。思っていると、何かあたたかいものが、玄徳の手に触れた。
花の手だ。隣に顔を向けると、花が笑う。
こうしていればたしかに、二人で浮いているように思えた。手を握り返すと、花の笑みが深くなる。
宴の音が、遠い。空気を読まれているのかもしれないな、と思うが、それは心遣いに感謝すべきだろう。思っていると、花がす、と、繋いでいないほうの手をそらに向けた。
「私の国の逸話では、あの星と」
川のように見える光の群れの端、一際眩く輝く真白い星が一つ。指差す先に自然と目がいく。す、と、腕が動くのにあわせて、視線も動く。
「あの星は、恋人同士なんです」
二つの星は、光の群れを挟んで、随分離れている。寄り添って光るならまだしも、と、思ったのが届いたのだろうか。花は優しい物語を語るに相応しい、ゆっくりとした口調で、言葉を続けた。
「二人は、わるいことをして、離れ離れにさせられているんです」
「なるほど」
納得して頷く。と、不意に花が体を起こした。
「……ん?」
「そうだ、忘れてた」
ぱたぱた、と、玄徳を置いてけぼりにして、花は宴の方へと駆け出した。何がなんだかわからない、と思っていると、翼徳に頼んでいた水入りの盥を持って戻ってくる。
「ああ、それか。結局なんなんだ、それは」
「えっと……見えるかな……」
よいしょ、と可愛らしい声とともに盥を下ろして、花はそっと盥の中を覗き込んだ。玄徳も身体を起こして、同じように盥の中を覗き込んで、――驚いた。
水の中に、空が見える。
空の星と、水の星と。それはまるで、盥の中に空を捉えたかのようにも見えた。玄徳の前で、花は空と盥とを交互に見やり、なにやら位置を調整している。
やがて満足げに顔を上げて、なにやら得意げに玄徳を見る。
「……?」
首を傾げると、花はなにか大切なものを捧げるような仕草で、盥の両端を示した。
「何だ、……、」
問うて、直ぐに気付いた。
先程の星が二つ、端と端に揺らめいている。
花はそっと盥の端に手を掛けて、壊れ物でも扱うような所作で、ゆっくりと水面に波を作っていく。
「……、……なるほど」
それは、静かな世界だった。
ゆらりゆらりとゆれる水面が、丸い小さな世界にささやかな漣を立てて、――そうして二つの星は、ゆらめき、近付いていく。
「こうやって、……ふたりの恋人が会えるように願うんです」
花の小さな声は確かに、恋人同士を想うに相応しい優しさを持っていた。優しい願いだ。なんだか感じ入ってしまって言葉が出せないでいると、沈黙を呆れとでも取ったのか、それだけなんですけど、と、照れたように花が笑った。
「それだけなんですけど、……綺麗だと思いませんか」
「ああ。なんというか、……風情があるな」
似合わない台詞だと判っていたが、上手い言葉が見つからない。花は嬉しそうに笑って、小さな手を盥の中に入れた。
「それにこうすると、星が掬えそうで。なんだか好きなんです」
「たしかに、そうだな。……星を捕まえているようだ」
小さな小さな水の中に、大きな大きな空を入れる。つられて手を差し入れた盥の水はもう温く、二人分の手で水面は大きく揺れる。水の中で指先が触れて、意図する前に絡めとっていた。
ぱしゃ、と、水が跳ねる音がして、水面が大きく跳ねた。
「あ、」
揺れすぎた水面は、星を映さない。花が顔を上げて、悪戯を咎めるような表情をした。
「星が、」
見えません、と。
開きかけた唇を塞いだのは、こちらも別に、なにか意図してのことではなかった。
飲み込まれるような広い星空と。
掬えてしまうような狭い星空と。
二つの星空のそのどちらもが、今、花と玄徳二人のものだった。
広い世界と狭い世界と、そのどちらもで、二人きり。
そんな思いが玄徳を急かして、水が跳ねるのも花が身体を跳ねさせるのも、構わず身体を抱き寄せていた。
「玄徳、さん、」
「怒るなよ。……恋人の為の夜なんだろう」
「それは、空の」
「黙っていろ」
抗議の声は塞いでしまえば聞こえはしない。慌ててもがく細腕は、簡単に手で封じてしまえる。
強く抱いて、もう一度唇が重なる、その瞬間に。
わざとらしい咳払いの声が聞こえて、玄徳ははた、と、我に返った。
振り向きたくない。
しかし、振り向かざるを得ない。
「し、師匠」
「……何も召し上がっていないようでしたので、気を利かせたつもりだったのですが」
嘘だ。絶対、邪魔するつもりだっただろう。
とは、口が裂けても言えなかった。夜でもはっきりとわかるほどに頬を染めた花の脇で、玄徳はどうにか作った涼しい顔を孔明へ向ける。
「ああ、すまんな。星に夢中で」
「それは、貴方の手の中のですか」
「し、師匠……!」
わたわたと手を動かして、慌てた様子で離れようとする花を、腕の中に押し留める。孔明の眉が僅かに上がるのを見ながら、玄徳は笑って頷いた。
「そうだな。たしかに、それもある」
手の中の星。
掬い上げられるようで結局零れ落ちてしまう、水面の星とは違う星。確かに彼女はその呼称が相応しいほどに眩いのだ。
あまりにあっさりと頷いた玄徳に、孔明は表情を隠せない様子で、僅かに口元を引き攣らせた。しかしすぐに、呆れたように笑う。
「星を手にするとは、流石に大したお方だ。ゆめゆめ、失わぬよう」
笑いながらも、口調は何処か辛いものを含んでいる。気付かぬ体で笑うと、今度こそ孔明は、降参と言いたげに肩を竦めた。
「……まぁ、こんなに星の多い夜では。ひとつくらい、零れ落ちてきたのかもしれませんね」
星詠みに通じているとは思えない言い草だった。けれど確かに、星が落ちてきたといわれても、納得してしまうような気がした。花はただ顔を赤く染めて、何も言えないでいる。今は赤い星か、と、地上近く低く見える僅か赤く輝く星を目に留めて、玄徳は小さな笑いをこぼしたのだった。
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