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姫金魚草

三国恋戦記中心、三国志関連二次創作サイト

   

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10 「幸せなんて要らないわ」



 軍議は紛糾した。
 降伏を待つべきだという者と、このまま一気に攻めるべきだという者の、たぶん川向こうでこれを裏返した議論が行われているであろうことを思えば、笑ってしまいたくなるような議論は、花が三つあくびをしてもまだ終わってはいなかった。
 荊州の地を安らげて、兵をこの地に慣れさせる時間は必要だろう、と花は思ったけれど、口に出すことはしなかった。問われれば答えればいい。それ以上は疑心を招くだけだと知っていた。
 それと、と、ちらりと視線を投げる。水軍の長である蔡徳珪を、花はよく知っていた。野心が強く、保身が好きな、どこにでもいる小物だった。荊州で権勢を保っていられたのは、荊州牧劉表が老いて、それをいいように出来ていたからだ。
 この男と、公瑾と。将からして余りに器が違う。火計が成功しなければ大敗を喫することのなかった戦とはいえ、言うほどたやすく大群で飲みこめる相手ではない。
 伯符が死んで数年の間、公瑾がその思いのすべてをかけて、鍛え上げて来た水軍だ。軽視するのは余りに愚かだった。
「……孔明。君はどう思う?」
 自分は一言も口を挟まずに、声高な議論を聞いていた孟徳が、唐突にこちらに声を掛けた。花の意見は既に伝えてあるようなものだ。この場で発言させる意味を少し考えながら、控えめな口調で答える。
「兵糧は荊州のものがあり、兵力の差は歴然。更には荊州の水軍もあり、戦をする条件は揃っていますが。……それは、揃わされたようなものではないでしょうか」
「揃わされた? 変な事を言うね。誰に」
 ええと、私に?
 と言う訳にはいかず、孔明はやんわり笑って誤魔化す。
「これだけ条件が揃っていれば、誰であろうと攻めたくなる。それでなくても、大軍を擁してやってきて、民に紛れた玄徳を追っただけの戦で、満足しろというのも酷な話」
「……そうだね。でもそれは、俺たちにとっていいことじゃないの?」
「攻められるということは、勝てるということとは違います」
「負ける可能性のある戦より、確実な手を打て。そう言いたいのかな。……その場合の確実な手は、揚州が降ってくるのを待つことかな?」
「降ってこずともよいのです。ここで地盤を固め、国力を蓄える。揚州が大人しくしていれば、荊州を固めることに専念できます。さすればあとは、戦ではなく、国の力そのものがモノを言う。益州が降るのも、揚州が音を上げるのも、時間の問題かと」
「なるほど。……時間をかけて締め上げる。……とても、俺の戦っぽくないねぇ」
「それだけの軍になったということです。寡兵で、神速を尊んでいた頃とは違う。大軍には大軍の使い方と、戦い方がある」
 此処まで来て置いて引き返せという論が、通るはずがないことは知っていた。時間を稼いでおきたかったのだ。孔明が居ない世界で揚州がどう選択するのかを、花は知らない。降伏の可能性があるのならば、僅かでも長く、それを待って居たかった。
「……そうか。君の意見は最もだと思うよ。……でもね、そういうわけにも行かないんだなぁ」
 孟徳は苦笑して、ぐるりと一同を見渡した。
「先刻、孫仲謀から書簡が届いた。――帝を蔑ろにする逆賊に、下る意思は無いそうだ」
「……!」
「陣を張り、戦線の準備を。決して水上で戦が決まると思うな。常に、陸上戦に持ち込めるようにしておけ。……詳しい策は後日検討する。まずは、帝の命に逆らう逆賊を、討伐することを考えろ」
 孟徳は凛とした声でいい、花は呆然とそれを聞いた。思わず視線を投げたのは、本を持つ男の元だった。男は苦りきった顔をして、俯いて声を聞いていた。
 戦になる。
 結局此処が、岐路なのだ。この戦なくして三国は成らないのだから、この戦を物語から消すことは、許されていないのかもしれない。そんな風に思った。
 男は未来を知るだろう。連環を、火計を、戦の流れを。そして本は、それを覆す策を示すだろう。後はそれが、孟徳に聞き届けられるようにすればいい。
 花は視線を孟徳へ戻した。彼の意図が、気になった。花の意見を知っている彼が、既に決まっている答えの前に、述べさせたことの意味を。花の意見を取り下げることで、元々の配下を安心させようとしたのか。花の意見など入れる気が無いと、花自身にもまた知らしめようとしたのか。あのように着飾らせて、賢しい事を囀らせて、愛でるために小鳥を飼っているようなものなのだと、言いたいのか。
 後者ではないように。思うけれど男の表情は読めず、花は僅かに唇を噛み、俯いた。

* * *

 戦支度で慌しくなる中、花は一人与えられた幕の中に居た。本来であれば、蔡徳珪の動きに警戒せねばならなかったが、動く気になれないというのが実情だった。戦と言っても、直ぐにはならないだろう。こちらは大軍、あちらはあのような書状を送ってきて尚紛糾している内部の取り纏めに忙しいはずだ。戦禍はまだ、少し先だ。
「孔明殿。宜しいですかな」
 かけられた声は、落ち着いて穏やかな、知性を感じさせるものだった。花はこの声を知っていた。
「文和殿。……どうぞ」
 入ってきたのは、この戦での軍師を務めることになるだろう男だった。孟徳の元の軍師として、名が知れている男だった。そして同時にその策で、孟徳の命を奪いかけた男でもあった。それほどの才知だ。
「失礼します。先程の軍議の続きとしゃれ込もうかと思いましてね」
「それは、丞相の前でやったほうが喜ばれるのでは?」
「流石に今はそれどころではないでしょう。……先に、色々と話しておきたいこともありましたしね」
 この男もまた、気を緩めることの出来ない相手だった。この乱世で、孟徳を三人目の主と頂く男の世渡りの上手さは、狡猾さと紙一重といえた。穏やかな微笑みは公瑾に似ていたが、鋭い知性を隠そうとしない辺りが少し違う。
 とりあえず、と花が干菓子を卓に乗せる。文和はそれには手を伸ばさずに、花が一つ摘んだところで、それを合図と言いたげに口を開いた。
「先程は、災難でしたね」
 意見を言うだけ言わされて、最初から道は決まっていた。気を悪くするべき展開だったのかもしれない。花はやんわりと、無知であるかのように首を傾けた。難しい人ですな、と一つ笑い返した男は、それでは私が言うことは、蛇足かもしれませんがと前置きして、言葉を繋げた。
「姿は歳若く幼いほどで、笑みは童女のよう。それなのに瞳は智謀を感じさせる深みを帯びて、衣を纏えば天女のようだ」
「……はい?」
「口を開けば声は柔らか、なのにその舌蜂は丞相と張り。語らせれば弁舌は巧みで、黙っていれば見透かされているよう」
「……あの、文和殿」
「そんな女が、丞相の傍に居る。――それは、女と言えば政も戦もわからぬ、華やかで愚かで可愛らしいだけの生き物だと思っている頭の堅い輩にとって、どれだけの恐怖だか、お分かりですか」
 花は知らず、息を詰めた。文和の目は冷たく知性に澄んで、花がそれこそ、頭の悪い女の素振りで逃げることを、決して許さぬと言いたげだった。
「……何をおっしゃりたいのか。それは随分上手く、惑わされているように見えますが。そんな女は、どこにも居ませんよ」
「そうですね。……諸葛孔明という名の幻影です」
 適わないな、と、苦笑が落ちた。同時に作っていた笑みが剥がれ落ちて、文和が満足したように笑うのが見えた。諸葛孔明という、伏龍という知れた名だからこそ、人々は花のあらゆる挙動を過分に受け取ってしまう。そうした帳の向こうに見れば、花はなるほど、危険な女に見えるのかもしれない。
「その幻影を、――傾国の妖だと、言う者が居る。お恥ずかしい話ですが」
「傾国。……なんだか照れますね」
「戯言では済まされないと、知っていてそう言いますか」
「だって私は、私が傾国でも、妖でもないと知っていますから」
 さらりと言えば、文和はやれやれと肩を竦めて、諦めたように本題に入った。
「先程の言。そのような妄言が蔓延っていたと、お考えの上で思い出してみていただけませんか」
「……はぁ」
 妄言は妄言だ。気の抜けた声で頷きながら、思い起こす。さて、と考えるよりも前に、気の早い軍師は答えを明かした。
「先程の。……殿は貴女の意見を退けて見せることで、貴女が傾国でないことを、妖仙でないことを言いたかった。自分は惑わされてなどいない、とね。それと同時に、貴女に公の場で喋らせることで、貴女の才知を知らしめたくもあったのです」
「……」
 納得するような、誤魔化されているような、不思議な気分だった。そう言われてしまえば納得するしかないような、この男に言われても信用ならない気がするような。余り表情を隠す気も無く気の抜けた風に頷くと、文和は期待はずれと言いたげな顔をした。その顔に思わず花は笑ってしまう。
「……なんですか」
「いえ。……丞相のお心遣いに感激して、目でも潤ませれば良かったかなと」
「……」
 文和はあからさまに鼻白み、それから、誤魔化すように苦笑した。彼とてこの時代の人間で、女は愛でられて生きるものだと思っているのだ。一本とった気分で花は気持ちよく笑い、それから、ふと、哀しいような気持ちで、付け加えた。
「私はそんな。……そんな風に心砕かれて、大切に守られて。そんな、女のような幸せが、欲しいわけではないものですから」
 そんな幸せが欲しいのだったら、こんな風に生きては居なかった。
孟徳の後宮の一員となることは、きっともっと、簡単だった。
文和が、してやられたというような、こちらを同情しているような、奇妙な顔のゆがめ方をしているのを見て、花は言いすぎたと自嘲した。
文和は良くも悪くも世知に長けた男だ。此処にフォローに訪れたのも、孟徳の覚えを目出度くしようという策知の元でだろう。そんな男に、聞かせるような言葉ではなかった。
お互いに言葉を失した、奇妙な沈黙――そこで二人は、新たな来客の声を聞いた。
「孔明殿。今、構いませんか」
 花と文和は、顔を見合わせた。計らずして揃った軍師三人で、今後の行方を決める戦についての議が持たれることは、ほぼ確定した事項となったのだった。

* * *

 男は、本を携えてやってきた。
 憔悴したような顔だった。決戦のときが近付いてきている、と言うのは、男にとって余程のプレッシャーなのだろう。けれどその本に従えば、男の願いは容易く叶う。もう少しなのだと、労わってやりたいような気分になった。
「珍しいものをお持ちですな」
 文和は早速興味を示したように、男の手にある書物を指した。こちらの書簡はまだ竹を削って墨を乗せる竹簡が中心だ。その書のように薄い紙を作る技術など生まれても居ない。男は卓に本を広げて、白紙の頁を開いた。
 ここで、やるつもりなのか。流石に驚いて男を見ると、男は疲れて青白い顔で、こちらを見る余裕も無く、じゃらりと駒を取り出した。
「……ほう?」
「占ですよ」
 文和の表情にちらりと侮蔑の色が走るのを、男は見つけなかっただろうが、花は見逃さなかった。こんなやり方では駄目だ、と思う。孟徳をはじめとする彼等はこの時代には似つかわしくなく、なのか、黄巾やらの妖しい類を見てきたからなのか、妖術めいたものに対する忌避感が強い。先程の文和の言葉からも、それが知れた。
 こんなやり方で、文和が納得するとは思えない。どうしたものかと考えを巡らせる花の目の前で、男は花にとって随分懐かしい手つきで駒を振り、そして光は辺りを照らした。
「……なっ、これは……!?」
 驚き慣れていない者らしい所作で文和が息を飲み、花は惑っていた所為で驚いた振りをするのを忘れた。光が収まったとき、白紙は埋まり、そこには呆然と書を見つめる文和と、真っ直ぐに花を見つめる男、そして、――その本を、まるで見慣れたものを見るように見る、花の姿があった。
「孔明殿。……冷静ですね」
 気付いたときには遅かった。花の目線は、読めない字に向けられる視線にしては余りに熱心に、本が示した策を読み取ろうと動いてしまっていた。
「読めるのですか? ……この書が」
「……」
 男の目は、男と最初に会ったときを髣髴とさせる、暗い輝きに満ちていた。花は慌てて首を横に振り、誤魔化す笑みで取り繕おうとした。
 しかし、全てが遅かった。男は嗄れた声で、低く、呻るように言った。
 
「諸葛孔明。……お前は、何だ。何を、知っている?」

 花は何も言えずにただ、首を横に振った。何もかもを知っている。けれどそれは、何も知らないということと、どれだけの違いがあるというのだろう。一人事態が飲み込めずに混乱した顔を見せる文和を間において、白日の下に晒された、そこには、軍師でもなんでもない唯の、異邦人である二人が居るだけだった。
「最初に気付くべきだった、幾ら丞相の並外れた記憶力でも、この本の名まで知っている筈はないんだ。――俺は本を抱えていて、彼は本でなく俺ばかりを見ていた。……曹孟徳は人に興味を持つ英雄だ。お前はそれを、知らなかったのか、孔明」
 畳み掛けるように、叩きつけるように、男は言った。必死で頭を振った。男の言葉より何より、自分の失策を突きつけられることより、男の目が、怖かった。
 裏切り者。
 燃えるような、それは、怨嗟の炎だった。確かに花は彼に、持てる全てを明かすことも出来たはずだった。そうしなかったことで彼が傷付くのを、覚悟していたはずだった。
 タイミングは最悪で、先のことなど何も見えない。
「私、は――」
 貴方と同じ。そう言うには花は、四代ほど遅かった。何も言えない。此処で泣くのはずるいと、判っていた。それこそ先の、愚かで弱い女に成り下がってしまう。それでも涙が出そうになるのは、謀が潰えたからなのか、彼の憎しみが痛いからなのか、それ以外の何かであるのか。花には全てがわかっているはずで、けれどもう、何もわからないように思えた。

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