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姫金魚草

三国恋戦記中心、三国志関連二次創作サイト

   

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11 いつかの日を信じるために


風が吹いていた。
変則的な風向きのことを、伝えなければならないな、と、思い出す。烏林に布陣してはいけないと言うのは、無謀だろうか。
泡を食ったように天幕から出て行った文和の姿を思い出せば、なにもかもが、言っても詮無い事である様な気もした。あのやり取りは確かに、妖のものに思えただろう。
文和を呆然と見送って、花もまた、逃げるように天幕を出てきた。戦支度に忙しい中に居る気になれずに、ふらふらと歩いて辿り着いたのが此処だった。
 遠くから、兵士のざわめきが聞こえる。夕の配給時なのかもしれない。ああそうだ、川魚と貝に注意するように言わなければ、とぼんやり思い、そしてそれもまた詮無いことだろうか、と思った。
花がこれから口にすることに、どれだけの信憑性があるのだろう。男は確かにこの世のものではなく、花もまた、この世のものではない。それは忌まれてしかるべき事実であるような気がした。
 河を見下ろす、少し開けた丘のような場所に、腰を下ろした。船が見える。河岸を埋める船の群れは、確かに勝利を確約してくれそうだった。既にその船が燃えていく様を何度も見ている花でもそう思うのだ。知らなければ、負けるなどとは思わない。
 ふいに、風が途切れた、……ように思えたのは、傍に、人が立ったからだった。赤い衣が、視界の端をはためく。
「……怒られますよ」
「そうかな。じゃあそれより先に、俺が君を怒ってもいい?」
 孟徳は花の隣に腰を下ろした。風が戻ってくる。
「駄目です。……私が死ぬことと、貴方が死ぬことは、違う」
「此処はそんなに危険かな」
「私に今術があれば、周公瑾を殺します。それと、同じことです」
 孟徳は堪えた様子も無く笑った。
「君はもうすっかり、俺の軍師のようなことを言うね」
「いけませんか」
「いや」
 沈黙の中を、風が通り抜けた。孟徳が口を開くまで、何も言わずにいようと決めた。こちらに来てから、そればかりだ。周りが敵だということは、言質を取られてはならないということだ。もしくは――単に、隣の男が怖いという、それだけのことでもあった。
「……文和はもっと驚くといいんだ。あいつは、世の中のすべてのことを知ってるつもりで居るんだから」
 孟徳は穏やかな口ぶりで、そう言った。花は答えられずに、膝の間に顔を埋める。慰めているつもりなのか。慰められるような義理は無い。
「でも、久しぶりに驚いたからだろうな。あいつの言うことはてんで要領を得ないんだ。喋りが上手いのが取り柄なのに。……だから俺に、説明してくれる?」
「……」
 そんなことは、ありえないだろうと思った。あの弁舌巧みな男が、ここぞというときにそれを発揮できないなどということは。裁判のような気分になった。被告人の言うことも、ちゃんと聞こうというのだろう。
「説明も何も、……何処から話せばいいのかも、私にはもうわかりません」
 諦めたような心地で言うと、孟徳は困ったように笑った。
「そんなに沢山、俺に言っていないことがあるんだ」
「……そうですね。語りつくせないほどに」
 四度の、いや、それ以前の「山田花」としての人生もすべて、聞いてもらいたかった。隣に座る男に全てを打ち明けて、狂人だと笑われても構わなかった。それでも男は、花を優しく包み込んでくれるだろう。
「その全てを聞きたいけど、……それは今じゃないだろうな。君が見たままを、語ってくれればいいんだよ。文和は本が光を放ったといっていた。あれは、妖しの書の類かい」
 花は顔を上げて、長江に浮かぶ船舟を見た。す、と、手を翳す。扇があったらそれらしいだろう、と思いながら、花の手にはもうあの扇もない。
「――東南の、風が吹きます」
 託宣めいた声が、意図せずに零れた。風が吹くとき。それが、決着の時だった。
「仲謀軍の老将が降伏にやってきます。こちらを信用させようと背に受けた傷を晒して。今はこう、こちらが風上になっている向きが、逆へと変わり――ぶつけられた火は瞬く間に燃え広がるでしょう。こちらの船はもともと不慣れな者が多い上、水が合わずに兵は多く病で倒れており、船の機動力も足りず、酔いを恐れて船を揺らさぬよう繋いでいたために、火の広がりを止める術はありません」
 花の目の前には、もう何度も見た光景が、広がっているようだった。あの熱さも。水に映る炎の揺らめきも。河に広がる死体も。なにもかもが、今このときに、蘇ってくる。
「船は燃えます。……その広がりが、赤い壁に見えるほどに」
「赤い、壁?」
「はい」
 花はゆっくりと立ち上がり、河を見下ろした。こちら側から見たことは無くても、対岸から見たときより確実に酷いことになっているであろう戦場を、想像することは容易かった。
「……それが、君が見たものなのかな」
 光の中で、と、問うているのだろうか。あれはそんな魔術ではない。花が見たことであることに変わりは無いけれど。花は座ったままの孟徳へ振り向いて、ゆっくりと頭を振った。
「いいえ。……いえ、頷くことも、間違いではない。私は確かに、この河が、燃えるように赤く染まるのを見たことがあります。けれどそれは、今ではない」
「……孔明、君は」
「私は、諸葛孔明ではありません」
風が吹いた。花の背後から、河から吹いてくる風が。
孟徳が目を眇める。
「私は確かに、この世のものではない。……騙していて、ごめんなさい」
 花は笑った。どうすれば孟徳が信じてくれるかと、そればかりを考えた。ここで消えることができれば、演出としては完璧なのだけれど――そうすれば花は真に神仙となり、あとは孟徳の受け取り方次第だ。
 その時。――孟徳の手が、花の服の裾を掴んだ。
 意識していなかったような、反射的な動きだった。孟徳自身が、驚いたような顔をしていた。見上げてくる目と目が合って――孟徳は、表情の抜け落ちた顔で言った。
「逃がさないよ」
「……え」
「それで君は、――消えてしまうつもりなのかもしれないけど。残念ながら、そうさせてあげるわけにはいかないんだ」
 消えるようだったのだろうか、と、思った。
 夕時の淡い橙色の中で、風を背に受けて、花は消えてしまうようだっただろうか。
 花は、小さく笑った。御伽草子を、思い出した。秘密がばれて消えるのならば、花は鶴であっただろうが、その実花はどちらかと言えば、羽衣をなくした天女であった。
「どこにも、行けません」
 それが全く哀しくないのだ。
「私の羽衣は、もう、焼け落ちてしまいましたから」
 それが全く、苦しくないのだ。
 孟徳が訝るように眉を寄せる。花はそっとしゃがみこむと、衣の裾を掴む孟徳の手をとって、祈るように唇を寄せた。
 傷痕の残る、その手の甲に。
 いつかの時を信じることなど、とうの昔に止めてしまった。
 今はただ、今この時が信じられれば――それで、よかった。
「孔明、……君は、」
「丞相」
 声と共に、風が止んだ。花はそっと、顔を上げた。男が立っている。孟徳を間に挟んで、二人の異邦人は、静かに見詰め合うこととなった。
「お話があります。……孔明殿も、是非」
 男の目は静かで、何を考えているのか、測ることは不可能だった。孟徳は溜息と共に、小さく笑った。いつもの戯言を言わない孟徳が、わかっているのだろうことは、知れた。
 決戦は目の前にあった。王者たる男が悠然と歩を進め、背後に花と異邦の男が付き従う。それは勝利への歩みというには余りに哀しい静謐さに満ちているように思えた。

* * *

 男が語った策は、苛烈なものだった。
 花の知る、そして男の知る未来では、孟徳軍は河を下る最中に揚州の水軍の攻撃を受け、その力を目の当たりにすることとなる。そして、水上での戦は不利と見た孟徳は、風上の利をとって烏林に布陣し、揚州の内部分裂や士気の低下を待つこととなる。
 対岸に布陣した揚州軍は、風向きが変わるときを利用して火計を仕掛け、孟徳軍は為す術も無く火に焼かれ、撤退する最中に劉備軍の追撃をうけ、後一歩というところでどうにか逃げ延びることになるのだ。
 それに対して本が示したのだろう策は、烏林に布陣するのではなく、陸口から上陸し、江夏に駐屯している劉備軍を打ち破って柴桑を獲る、というものだった。
 陸戦に持ち込めは数で勝てる、という男の言には説得力があった。それはまた同時に、かなりの犠牲を前提にした策でもあった。劉備軍は少数とは言え精兵だ。単純に押し潰せるような相手ではなかった。
「烏林に布陣すれば負ける。……それは、孔明が言ったのと同じ理由かな。つまり――風向きが変わって、火計を受けると」
 男の言を聞いていた孟徳が、静かに問う。男はちらと花を見やってから、うなずいた。何故花がそれを知るのかは、問わなかった。
「無論それを知っておけば、打てる手もあります。しかし今は、玄徳軍を恐れず江夏を攻めるのが上策かと。柴桑を獲れば、後の揚州攻めへの足がかりにもなりますし、荊州を固める意味でも有用です。転じて、ここで柴桑を獲らなければ、荊州は仲謀、玄徳、そして我が軍がにらみ合う地となるでしょう。……玄徳だけでも、ここで潰しておくべきです」
「なるほどね。……孔明、君はどう思う」
 それが、この世のものではない、と告げてある花の、神託を問うような意味なのか、それとも、かつて玄徳の元にいた軍師へ向けての問いなのか、花にはわからなかった。ただ、どちらであっても答えは同じだった。それが本の答えならば、従うだけだ。
「悪くないと、思います。……唯一つ、私からも策を、告げさせていただいても構いませんか」
「……聞こう」
 江夏へ上陸し、玄徳を攻める。それだけでは、片手落ちだ。閃いたのは、どうしようもなく残虐な策だった。敵よりも味方を多く殺して、それでも最後に数が多いほうが勝つという、策とも言えないような策だ。どうしてそんな策が思いついてしまったのか、判らなかった。
 かつての花だったら、決して口にしなかっただろう策だった。かつての、犠牲を少なくしようとそればかり、願っていた頃の花だったら。
「水軍を使い、長江を下らせ、建業を目指す」
「……水軍を?」
「はい。……建業に辿り着く必要はありません。下る船の方が、上る船より強いのは道理です。揚州の水軍が強くとも、押し返すことは容易ではない。揚州の水軍を、つまりは揚州の目を、ひきつけて置くだけでよいのです。都を攻められる。そう思わせればいい」
 揚州軍と玄徳軍を、合わせても十万と少し。対してこちらは三十万の軍勢だ。二正面作戦は、無理ではあるが、無謀ではない。
「揚州はそもそも豪族の集まり。不利と見れば、兵を出さぬ者も出てくるでしょう。玄徳軍が敗走しただけで、白旗を挙げたがるものもいるかもしれません。なんと言っても、つい先刻まで、降伏するか否かで揉めていた者たちです」
「力を見せ付けてやればいい。そう言うんだね」
「はい」
 無茶を言っている自覚はあった。沢山の兵が死ぬ策だった。殺しても構わないと思わないと、立てられない策だった。
 かつて。かつてあの本を持っていた頃の花が、本に願っていたこと。それは何をさて置いても、犠牲を少なくする策だった。あの頃の花の願いと言えば、ただそれだけだったのだ。目の前で人が死んでいくのに、耐えられなかった。
 例えどんな策を立てても、誰も死なずに終わらせることなど出来ないと知らず、命の取捨選択をしていた頃。今では、こちらが死ななければあちらが死ぬ、当たり前の天秤を知っている。結局自らの命を賭けぬ以上、何を講じても変わることはない。
「……君達は、怖い軍師だね。どれだけの兵が死ぬかを知っていて、最高の結果を弾き出そうとする」
 孟徳は、口角を吊り上げて笑った。悪い笑みだ。狡知に長けて、それこそ、人を殺すことをなんとも思わないものの笑みだった。
「君達を得たことは、我が軍の不幸か幸福か? ……それは、戦の結果が教えてくれるんだろう」
 孟徳は静かに言って、楽しげに喉を震わせた。戦の感覚。――自ら作る戦の感覚が、じわり、と身体に広がる。それは熱のような、痛みのような、そんな何かだった。
「孔明の策に、異論は」
「……ありません」
 男は、頷いた。花は少し驚いて、そちらを見た。花の策は、花のものだ。本に記されていたのだろうか、と思い、それなら最初から言うだろう、とも思う。男はちらと花を見ただけで、何も言わずにすぐに目を伏せた。
 自らの言葉が、正しいのかどうか、わからない。
 こんな不安は久々だった。言わなければ良かったと、後悔することも。此処から先は、花の知らない世界だった。一度としてみたことの無い戦が、始まろうとしている。赤壁ではない、なんと呼ばれるかもわからない、それでも全てを決する戦が、はじまろうとしていた。














(次回最終回)
(戦術にも戦略にも弱く、知識も足りない。架空戦記を書ける人はすごい……)

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