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姫金魚草

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黒い羊 (雲長)

広生は、いつも、時間よりはやく待ち合わせの場所にいる。
本に視線を落としていた彼が、花に気付いて顔を上げる。
その瞬間の、どこかやわらかく細められる目が、好きだ。
「ごめん、待ったかな」
「いや。すこしはやく来すぎた」
行こうか、と、自然と手が伸ばされる。手を重ねて、軽く握る。
タイミングがわかる、と思う。広生の呼吸と、呼吸が合っているような気がする。
「今日は、春物を見るんだったか」
「うん、ちょっとお小遣い貰って来ちゃった。この間のテストがよかったからって、お母さんが」
広生のお陰だよ、と笑う。彼は高い学力を有している上、教えるのが上手い。広生に勉強を教わるようになってから、花の成績は眼に見えて向上した。お陰で、花の母親の広生に対する覚えはとてもめでたい。
「それは、お前が頑張ったからだろう。よかったな」
手が離れて、頭を撫でられた。
「……また、子ども扱いして」
「、……そうかな?」
「そうだよー」
わざとらしくむくれて見せると、困ったように笑われた。「そういうところは、子供だろう」……彼は、あいかわらず辛辣なことを言う。


* * *


春の店先は、華やかな色に溢れている。
花は、二つのワンピースを見比べて真剣な面持ちをしていた。華奢な彼女には右の、ふわりとしたラインの華やかな色のものが似合うと思うが、それは、訊ねられてから答えればいいことだ。真面目な顔をした彼女も微笑ましいから、しばらく眺めていようと思う。
(……、……華やかな服、か)
自然、浮かんでくるのは、芙蓉姫の手によって着飾らされた宴会での花の姿である。
髪を上げ、僅かに化粧を施した彼女は、はっとするほどに艶やかに見えた。
(……もっと、)
(着飾らせれば良かったかもしれないな)
今となっては詮無い思いだが――あの頃であれば好きなように彼女を飾ることが出来たと思うと、なんだか勿体無いことをしてしまったような気がする。あのように豪奢な仕掛けを羽織ることなど、こちらの世界ではそう無いことだ。
(あの日々のことを――こんな風に、考える日が来るだなんて)
こんな風に、懐かしい、柔らかな思い出として、思い出す日が来るだなんて。
「……ね、どっちがいいかな」
「ん?」
掛けられた声に、我に返る。先程の二着を両腕に下げている。
「そうだな……俺は、こちらのほうが好きだが」
「こっち、」
花はこっちか、とまた難しい顔をしてから、ふと顔を上げた。
「?」
「そうだ。この色、何かに似てると思ってたんだけど。あの時の着物に似てるんだ」
「……」
あのとき。
それは、広生が思い出していたのと、同じものだろう。そういえばそうだ、と、先程の思考に納得したような気分になる。
「うん、じゃあ、こっちにしよう」
心を決めたらしく、一つを戻し、一つをレジへ持っていく。あの時の彼女も可愛らしかったけれど、恐らくその服を着た彼女も可愛らしいだろう。次にこうして逢うときに着てくれるといいのだが。
(……ああ、)
(平和な思考だ)
お待たせ、と笑う花に笑い返して、なんだか複雑な――幸せなような、後ろめたいような、そんな気分になった。


* * *


広生が、足を止めた。
「?」
それは――ファンシーショップの前だった。可愛らしい、色々な動物を模したぬいぐるみが、所狭しと並べられている。
(……なんか、シュールだなぁ)
「どうしたの?」
「いや、」
「あ、その羊、かわいい」
白と黒の羊のぬいぐるみが並んでいる。黒い羊の方が数が少ないように見える。
広生とぬいぐるみの取り合わせに違和感を覚えたのは一瞬で、直ぐにぬいぐるみのほうに意識が惹かれた。黒い羊を手にとり、ふと、広生の顔の辺りに掲げてみる。
「……、なんだ、いきなり」
「なんか、似てるね」
その羊はすこし拗ねたような、つまらなそうな細い目をしている。それなのにすこし寂しそうに見えるところが、似ている……と、言ったらそれこそ拗ねられてしまいそうだけれど。
「あまり褒められている気がしないな」
「……」
ばれましたか。
「でも、かわいいでしょ」
「それは、そうだが」
広生は複雑そうに眉を寄せている。花は、余り頓着せずに、他のぬいぐるみに目をうつした。


* * *


「なんか、似てるね」
言われたときに、考えを読まれたのかと思った。
けれど、どこか含みはあるものの、ただ楽しげに笑う顔に、そうではないのだと知れる。
(……黒い羊)
たしかに広生は、それが、自分に似ている気がして、足を止めたのだ。
黒い羊。
白い羊の群れにいる、異端児。
黒い毛は染めることが出来ないから、役にも立たない、厄介者。
昔聞いた、そんな話を――ふと、思い出したからだ。
(自分が黒い羊であるような気がして、この世界から逃げて)
(その先でも結局、俺は、黒い羊だったのだ)
苦く、思う。
そうして戻ってきた世界で――俺は正しく、呼吸できているだろうか。
(そうして置いてきた世界は――俺の居ない世界は、正しい世界へと、戻っただろうか)
ぬいぐるみを前に無邪気に笑う花の傍で、こんなことを考えている自分は、もしかしたらまだ黒い羊なのかもしれない。そんな風に内心苦笑したときに、花が手にトラ猫と黒犬のぬいぐるみを掲げて、こちらを見た。
「じゃあ、これが翼徳さんで、こっちが玄徳さんだね」
こっちの猫、かぱって開いた口がそっくり。こっちの犬は、優しくて頼りになりそうだし。
楽しげに笑う彼女は、ごく近しいものを語る時の口調で、優しく言葉を紡ぐ。
思わず――目を、瞬いた。
(黒い羊と、……トラ猫と、黒犬か)
「……それは、随分、弱そうな軍だな」
「そういう感想、どうかと思う」
軍じゃないし、と憤慨したように頬を膨らませる。
「だが、たしかにこうして並べてみると、それらしいな」
三匹並べて掲げると、なんだか確かに似ている気がしてくるから不思議なものだ。
「でしょ? ……って、そんなこと言ったら欲しくなるよ」
三匹は無理、と、値札を眺めて溜息をつく。丁寧に三匹とも棚に戻して、また今度ね、と真面目な顔で言った。
(羊と、猫と、犬)
(……黒い羊は、なにも、外れてはいないのか)
ふと、ぬいぐるみと目が合うというのも、奇妙だが――目が、あったような気がした。細い目は、どこかひとをからかうような色をしていた。
そんなに世界は狭くないのだと、笑われたような、気がした。
「? ……欲しいの?」
「いや、」
一匹だけ連れて行くのは、かわいそうだろう。
言うと、花は――困ったように笑った。手をとられる。慌てて、そういう意味じゃない、と言おうとして、必要ないと思いなおした。
「……俺は、一人ではないしな」
「何も言ってないよ」
「わかってる」
ここでも、彼の地でも、一人などではなかった。
(そんなことも、直ぐ忘れてしまう)
(――彼女が居ないと、直ぐに)
苦笑と共に、強く手を握った。自分は黒い羊かもしれないけれど、黒い羊は、想われていた。忘れないように、刻み込むように、――強く、握った。











(雲長@本の中のイメージソング…炉心融解、もしくはBLACK SHEEP)
(「僕のいない朝は 今よりずっと素晴らしくて 全ての歯車が噛み合った」)
(「僕が出ていったあと 街に平和が戻った 随分長い間 楽しかった 夢を見てた もう帰らない」)
(雲長はやっぱり、帰ってきてからもたまにうじうじするけど、なんとなく花ちゃんに救われるといいな、というはなし。)

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