姫金魚草
三国恋戦記中心、三国志関連二次創作サイト
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会い見て巡れ(雲長と玄徳)
*注意*
花ちゃんは出てきません。
BLのつもりでは書いていませんが、見方によってはそう見えるかもしれません。
雲長と玄徳の話です。
↓大丈夫な方だけ続きからどうぞ↓
死んだ瞬間の痛みは、目覚めた瞬間にも残っている。
だから俺は目を開けてから、しばらく身動きすることが出来ない。
じんわりとした痛みの余韻に耐えて、ゆっくりと息を吐いて、それからまた、物語がはじまったことを知る。
これからまた、多くの死があり、多くの痛みがあり、そしてその全てが、たいして代わり映えの無い――そんな長い時を、過ごすことになる。
いっそ、全てを忘れてしまったら、楽なのだろう。
帰る術などないことは、疾うに知れている。
実際、多くの記憶は薄れ、こちら側が現実であちら側が夢だと、もはやそんな気がすることさえある。
それでも、みっともなく自我に縋っているのは、まだ、未練がましく希望に縋りついているからだろうか。
(――いや)
そうではない、と、思う。
そうではない、と、思いたいのかもしれない。
そうだとしたら、俺は駒としても二流品の、関雲長に成り切れない男だ。
(そうでは、ないのだ)
巡り巡る長い長い、果てのない旅路の中で――唯一、何度経験しても、慣れることのない出来事がある。
いや、それは寧ろ、経験すればするほどに、同じことを繰り返しているのに、深く深く突き刺さるようにすら感じられる。
(それがあるから、俺は)
(関雲長でいようと、思えるのだ)
(俺が、あの――本物の、関雲長でるようにと、願うのだ)
それはもう何ものも望めない自分の、唯一の願いであるかもしれない。
劉玄徳が、関雲長を尋ねてくる。
桃園の下で誓いを交わす、あの瞬間。
繰り返す生が虚しいのは、全てが零へと消えるからだ。
誰との出会いも、はじめから――見知らぬものを見る、冷たい目からの、やり直し。
けれど、玄徳だけは違う。
玄徳だけは最初から、はじめから、自分のことを信じてくれる。
何度繰り返しても変わらない。人を信じるものが持つ強さ。
玄徳は、最初から、はじめて会ったその日から――自分を義弟と見てくれるのだ。
だから、玄徳との関係だけは――変わらぬように、思える。
あの瞬間に、自分は誓いなおすのだ。
彼のために、正しく関雲長として、生きよう、と。
その思いもまた、戦いの中で、疲弊していくものだけれど。
ただ、関雲長が、劉玄徳という人を信じた、その理由を、身を以って知ることが出来たのは。
愚かな自分に与えられた、過ぎたる幸福だと――そう、思うのだ。
(やがてすべてわすれてしまうとしても。)
だから俺は目を開けてから、しばらく身動きすることが出来ない。
じんわりとした痛みの余韻に耐えて、ゆっくりと息を吐いて、それからまた、物語がはじまったことを知る。
これからまた、多くの死があり、多くの痛みがあり、そしてその全てが、たいして代わり映えの無い――そんな長い時を、過ごすことになる。
いっそ、全てを忘れてしまったら、楽なのだろう。
帰る術などないことは、疾うに知れている。
実際、多くの記憶は薄れ、こちら側が現実であちら側が夢だと、もはやそんな気がすることさえある。
それでも、みっともなく自我に縋っているのは、まだ、未練がましく希望に縋りついているからだろうか。
(――いや)
そうではない、と、思う。
そうではない、と、思いたいのかもしれない。
そうだとしたら、俺は駒としても二流品の、関雲長に成り切れない男だ。
(そうでは、ないのだ)
巡り巡る長い長い、果てのない旅路の中で――唯一、何度経験しても、慣れることのない出来事がある。
いや、それは寧ろ、経験すればするほどに、同じことを繰り返しているのに、深く深く突き刺さるようにすら感じられる。
(それがあるから、俺は)
(関雲長でいようと、思えるのだ)
(俺が、あの――本物の、関雲長でるようにと、願うのだ)
それはもう何ものも望めない自分の、唯一の願いであるかもしれない。
劉玄徳が、関雲長を尋ねてくる。
桃園の下で誓いを交わす、あの瞬間。
繰り返す生が虚しいのは、全てが零へと消えるからだ。
誰との出会いも、はじめから――見知らぬものを見る、冷たい目からの、やり直し。
けれど、玄徳だけは違う。
玄徳だけは最初から、はじめから、自分のことを信じてくれる。
何度繰り返しても変わらない。人を信じるものが持つ強さ。
玄徳は、最初から、はじめて会ったその日から――自分を義弟と見てくれるのだ。
だから、玄徳との関係だけは――変わらぬように、思える。
あの瞬間に、自分は誓いなおすのだ。
彼のために、正しく関雲長として、生きよう、と。
その思いもまた、戦いの中で、疲弊していくものだけれど。
ただ、関雲長が、劉玄徳という人を信じた、その理由を、身を以って知ることが出来たのは。
愚かな自分に与えられた、過ぎたる幸福だと――そう、思うのだ。
(やがてすべてわすれてしまうとしても。)
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