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きょうのわんこ(翼徳)

翼徳は花の部屋で眠るのが好きだ。
孔明の補佐役として部屋に仕事を持ち帰るようになってから、書簡を開く花の脇で花の寝台に転がる翼徳というのが当たり前になってしまっていた。
今では、翼徳を探した兵士が翼徳の部屋より先に花の部屋を訪れるほどである。
「今日は、練兵は?」
「んー、午前中やってたんだけどー、もうやめろって雲長兄ぃが」
「……」
またやったのか。
翼徳は未だ、人の上に立つということに慣れていない。自分基準の彼の練兵は、彼の体力に合わせて自然と過酷になってしまう。
これでも随分良くなったのだ、と溜息混じりに雲長が言ったときには、流石の花も翼徳に小言を言ってしまったくらいだ。
「他に仕事は?」
「書簡は――うん、大丈夫。来る前に、孔明に出してきた」
「そっか。じゃあ、今日はもうお休みだね」
「うん。花は?」
「これを師匠に届けたら、一休みかな」
とん、と乾いた書簡を巻きなおす。翼徳が嬉しそうに笑うのを見て、つられて笑う。
「帰りに、なにか炊事場で貰ってくるね。お茶にしよう」
「ん」
くるんと寝台に丸まる姿が、犬のようで可愛らしい。いってらっしゃいと手を振るのに手を振り返して、花は孔明の執務室へ向かった。


* * *


「ただいまー……ごめん、引き止められちゃって、……」
ぱたぱたと僅かに駆け足で部屋の扉を開けた花は、翼徳が眠っているのに気がついて慌てて口を閉じた。
「……」
部屋は日差しで僅かに暖かく、確かに昼寝日和である。
しかし、花の毛布を抱えて眠る姿はどんなに身体が大きくても、年上だと知っていても、微笑ましいという感想意外が出てこないほどにほのぼのとしていた。
「……せっかくお湯貰ってきたのになぁ」
眠る翼徳の隣に座り、口調だけは文句めいて呟く。起こさないように気をつけながら髪に触れると、子供のようにさらりとしていてまた少し笑ってしまった。
「……、……あふ」
しばらく穏やかな寝顔を眺めていたが、どうやら眠気に感染したらしい。欠伸がこぼれた。
「……」
寝台の上――翼徳の隣は、なんだかとても暖かそうで、眠り心地が良さそうに見える。
(……)
(……ちょっとだけなら、いいよね)
夕方から会議があるが、流石にそれまでには目が覚めるだろう。
そう自分を納得させると、花はそのまま、翼徳の脇に並んでころんと転がった。


* * *


「……ん」
ぱち、と翼徳は目を開いた。花を待っていたら、いつの間にか眠っていたらしい。
慌てて体を起こそうとして、温もりに、気がついた。
自分の大きな身体に絡む、細い腕。
「……」
花の腕だ。気付けは花が、丸まった翼徳に後ろから抱きつくようにして、眠っていた。
(……、)
迂闊に動いてしまわなくて良かった。壊してしまったかもしれない。
翼徳は本気でそんなことを思った。
(……ていうか、……どうしようこれ)
背中の辺りから、花の規則正しい寝息が聞こえる。
そっと動いても起こしてしまうかもしれない距離だ。花がおきるまで、じっとしているのが一番いいということはわかっている。
(でも、)
(顔が見たい……ぎゅってしたい)
どうせなら抱きしめられるのではなくて(というかこの体勢は抱きしめるには至っていない、花の腕が翼徳の身体に対して細く短すぎるのだ)、抱きしめたい。
(……そーっと。そーっとならきっと大丈夫)
誘惑に弱い。
翼徳はできうるかぎりそっとそっと身体を動かし、どうにか花のほうに寝返りを打つことに成功した。

(……あ、ダメだ)
(失敗した)

成功して――そしてすぐに、後悔した。
花の寝顔。安心しきって眠る安らかな寝顔は、見てはいけない類のものだった。
見てしまったら、もう。

(どうしよう)
(ちゅーしたい……)

寝てる相手に、なんて、わるいことだ。

(わるいことだ、けど)
(……でも、寝てるし)

翼徳の中で幾つかの――簡単に言えば欲望と理性の争いがあって、勝敗は最初から決していた。
おそるおそる、起きない様にと願いながら――唇を寄せる。

「……ん、」

ぱち、と。
あと少し、の瞬間に、花が目を開けた。

「……っ」
翼徳の動きが固まる。
「……?」
事態を把握していない花が、緩慢な瞬きの後に、まだ眠気がかったとろりとした目で翼徳を見た。
「――」
止められなかった。微妙に先程より据わった目で、そっと花の肩に手を添える翼徳に、花がやっと事態を把握する。
「! ……っ、待って!」
「……!」
咄嗟に静止を口にした花に、本当に僅かの隙間を開けて、動きを止める。ひたり、と見据えた視線の先で、花の大きな目が動揺に揺れている。
「翼徳さ、」
「いつまで?」
「え?」

「いつまで、待てばいい?」

花の頬がぱあっと染まる。うろうろと視線を彷徨わせる花を見つめたまま、翼徳は花の肩に添えた手に少し力を込める。

花が諦めて、僅かに顔を俯け、恥ずかしそうに「……いいよ」と言うまで。
翼徳はじっと花を見つめて、少しの距離も開かせないまま、大人しく「待て」を続けていたのだった。












(「待て」翼徳編。……これは待ったと言えるのか?)

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