姫金魚草
三国恋戦記中心、三国志関連二次創作サイト
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二人とも喧嘩するな!(孔明)(後)
やってしまった。
こげぱん顔で頭を抱える孔明の脇で、珍しく気まずげな顔をした芙蓉姫が、頭を下げる。
「すみません、私のせいで」
「……いや。ボクの自業自得だよ……」
声にもいつもの飄々とした色はなく、ただ魂が抜けたようになっている。
(……)
(申し訳ないけど、花の「嫌いです」でこんなになっちゃう孔明は、ちょっと、おもしろいかも……)
不謹慎な感想を抱きかけた芙蓉姫は、慌てて頭を振ってその考えを打ち消した。なんといっても、今回の騒ぎの一旦は、自分に責がある。
「あぁ……どうしよう……」
しかしこの、世界の全てを見通しているような軍師が、本気で頭を抱えている様を見ることになるとは思わなかった。その顔は、まるでこの世の終わりでも迎えたかのようだ。
「……話してしまったらいいのでは?」
「それはだめ」
そんなになるくらいなら、早々にネタバレをしてしまえばいいのじゃないかと思った芙蓉姫の意見を、しかし孔明はきっぱりと撥ね付ける。
「まだ準備が出来てない」
「……それは……、……でも、その前に花に本当に嫌われたら、意味がなくはありません?」
ぴしっ。
(あ、凍りついた。本当に弱ってるのねぇ、ありえないってわかるでしょうに)
ありえない、とわかっているのに言ってしまう芙蓉姫が意地悪なのではないか、というツッコミをしてくれる人材は、ここにはいない。
「そ、そんなこと」
「でも、私のところに来ていないということは、誰か別の……恐らくは、殿方のところにいらっしゃる可能性が」
ぴしぴしっ。
(……うわぁ、おもしろい……)
「で、万が一、万が一があったりして」
「しないよ」
(……え?)
ひびが入って、もう割れてしまうぐらいを期待した芙蓉姫の意地悪な言葉に、しかし孔明はなぜかそこだけはきっぱりと否定した。
「それだけは、ありえないよ」
「……」
いつの間にか、顔がこげぱんから通常状態へ戻っている。ぱちりと目を瞬いた芙蓉姫は、それから、やれやれ、と言いたげに肩を竦めた。
「……準備は、明日には整いますから。それまでに、会える算段は、つけておいてくださいね?」
「わかってるよ。明日はよろしくね、芙蓉殿」
* * *
翌日。
孔明は深呼吸をしてから、部屋の扉に手をかけた。
例のものは、すでに芙蓉姫から受け取っている。……なにも問題は無い。会うことさえ可能ならば、悪い結末にはなりようがない。そうわかっていても、彼女の表情を想像すれば、足がすくんだ。
(全く、ボクは、いつからこんな風になっちゃったんだろうね)
今回だって、こんな風になるとは思っていなかったのだ。
隠しごとをしていることを、彼女が気付くところまでは、想定していた。
えいぷりるふーる、と彼女が言っていたあの日の、意趣返しのつもりもあった。
しかし、彼女をあんなふうに傷つけるつもりは無かった。あんな悲しい顔で、嫌い、だなどと言わせるつもりは、全く無かったのだ。
(どこで読み違えたのか、……、いや、それは、今はいい)
今は考えるときではなく、動くときだ。意を決して、扉を開ける。
ごんっ。
「……へ?」
「……っ」
「……花!?」
どうやら、思い切り扉を開けたせいで、扉の前にいた人物に、思い切りぶつけてしまったらしい――額を押さえて涙目になっているのは、間違いなく、孔明が今逢いに行こうとしていた少女だった。
「うわ、ご、ごめん!」
「い、いえ……」
予想外の出来事に、一瞬、気負っていた空気が解ける。いつものように彼女の額に触れてから、潤んだ目と視線が合って、状況を一気に思い出した。
「……っ」
「……す、すみません」
「……なんで君が謝るの。……会いに来て、くれたの?」
彼女が扉の前に居たということは、そういうことだ。先手を取られた、と思うと同時に、身体から力が抜けるほど、安心した。花は顔を隠すように伏せて、小さく頷く。それから、意を決したように口を開く。
「あの、ししょ」
「待って」
これ以上、彼女に先手をとられては、伏龍の名が泣くというものだ。
「中で話そう。……ボクもね、君に会いに行くところだったんだ」
* * *
椅子に座った花はいつもより縮こまっていて、彼女のこういうところが可愛らしいと思う。
お茶を淹れて差し出すと、恐縮したように受け取った。
「ありがとうございます」
「いえいえ。今日は仕事じゃないからね。ボクがおもてなししないと」
「そんな、」
困ったように眉を寄せる。机を挟んで向かい側に腰掛けると、彼女が緊張したように身体を竦めた。
「……昨日は、ごめん。怒らせるつもりじゃなかったんだ」
もう全ての道は見えたようなものだ。孔明がゆっくりと切り出すと、花は慌てて首を振った。
「いえ、私こそ、ひどいことを……」
「……たしかにあれは、ちょっと傷付いたけど。でも、自業自得だからね」
ちょっとどころではない自覚はあるけれど、男は格好つけていたい生き物なので。
「すみません、……師匠だって、私にいえないこと、いっぱいあって当たり前なのに」
「あ、そういう方向で自己完結するんだ」
なるほど、彼女の思考回路だとそうなるのか。
そうか、嫌われても役に立ちたいとか思っちゃう子だもんな。
「知りたくない?」
しかし今回は、そう完結されては困るので、わざと悪戯っぽく聞いてみた。花はむ、と眉を寄せて、それからすぐに、へにゃりと顔を崩した。
「……もちろん、知りたい、ですけど……」
「うんうん。そう言ってくれないと困る。ボクだって、君の隠し事に気付いたら、追求せずにはいられないと思うし」
どんな手を使ってでも探り当ててしまう自信がある自分が、ちょっと嫌だ。
「大したことのつもりじゃなかったんだ。でも、ほら、この間の……えいぷりるふーる? のこともあるし、少し君をびっくりさせよう、と思っただけで。君がやきもきするところを見てみたかった、というのも、勿論あるけど」
「……師匠……」
恨みがましい目をされた。
「あれは、あれで、お手打ちじゃなかったんですか」
「そう言わないでよ。……そういえば、昨日は何処に行ったの」
「え、……雲長さんのところに」
これは少し意外だった。芙蓉姫のところでなければ、兄のように慕っている玄徳辺りのところに行ったと思っていたのに……いや、それとも、年代の近い雲長の方が話しやすいのだろうか。なんにせよ、少しおもしろくない気分になる。……芙蓉姫に言ったように、なにもないと信じてはいるけど。
「そうなんだ。てっきり、芙蓉姫のところかと思ったよ」
「……芙蓉姫は、なにか、知っている気がして……」
驚いた。
同時に、納得した。孔明が多少強気で花の探りを跳ね除けられたのは、芙蓉姫が逃げ場になるだろうと思っていたからだった。しかし、花にとって、何かを知っている芙蓉姫は孔明側の人間で――逃げ場には、ならなかった。逃げ場を失ったものは、ふとしたことで爆発する。窮鼠猫を噛むというか。
「なるほど、だからか……。……侮ってたな」
「?」
「いやいや、ごめんね。……ちょっとやきもきさせて、思い切り吃驚させようと思ったんだけど」
孔明は軽く頭を掻いて、芙蓉姫との隠し事――小さな箱を、差し出した。
「……?」
「あげる。……開けてみて」
「……、……指輪?」
これが、芙蓉姫に相談して、手を回していた「隠し事」だった。細い銀に玉をあしらった、こちらでは珍しい簡素な意匠になっている。
「君の国では、指輪が証だと聞いて」
「証……?」
「結婚の、さ」
しばし呆然としていた花の顔が、みるみるうちに赤くなる。
「左手の薬指に、給金三か月分だっけ。おもしろい習慣だよね」
「そ、それ、芙蓉姫から?」
「うん。こちらでは派手な意匠のものが多いけど、君の国では、ずっとつけているから、細くて軽いものなんだろう?」
「……」
「……つけてくれる?」
じ、と見つめると、花はこれ以上ない程火照った頬のまま、小さく頷く。孔明は内心の安堵を気付かれないようにしながら、花の手をとった。
「ありがとう。……ボクがつけても?」
触れた指先は、細く滑らかだ。彼女の国は平和で、豊かなのだろう。ここよりもずっと。そんなことがわかる指だった。
「……」
簡素な意匠は、彼女の華奢な指によく似合う。ゆっくりと顔を近づけ、唇で触れた。
「……!」
「愛してるよ、花」
「……っ師匠は、ずるい、です」
「孔明さん」
「……」
くしゃりと花の顔が歪んで、じわりと涙が滲んだ。
ああ、君がここに居ることが、ボクにとってどれだけの幸福か――君は知らない。
ぎゅ、と、てを握り締める。
どうか。どうかこの指輪が、彼女の手から、失われることがないように――
* * *
「……なんで花は、こんな根暗冷血漢のところに行ったのかしら?」
「喧嘩を売りに来たのか」
「別に」
「……単に、歳が近いから、話しやすいというだけだろう。正直、迷惑だ」
「ほんとに冷血漢ね」
「犬も食わない類のことに、借り出されても困る」
「まぁ、今頃は元の鞘でしょう」
「……」
「何?」
「お前、全部知っていたんだろう」
「まあね。教えないけど」
「……」
「でも、あの二人はたまに喧嘩するくらいでいいのよ。じゃないとあの男、全く何も見せないんだから」
「……(それには同意するが、俺を巻き込まないで欲しい)」
「あ、なにその溜息。あーあーこれだから根暗は」
よくわからないところで終わる。
(とてもタイトルにあっていない……)
こげぱん顔で頭を抱える孔明の脇で、珍しく気まずげな顔をした芙蓉姫が、頭を下げる。
「すみません、私のせいで」
「……いや。ボクの自業自得だよ……」
声にもいつもの飄々とした色はなく、ただ魂が抜けたようになっている。
(……)
(申し訳ないけど、花の「嫌いです」でこんなになっちゃう孔明は、ちょっと、おもしろいかも……)
不謹慎な感想を抱きかけた芙蓉姫は、慌てて頭を振ってその考えを打ち消した。なんといっても、今回の騒ぎの一旦は、自分に責がある。
「あぁ……どうしよう……」
しかしこの、世界の全てを見通しているような軍師が、本気で頭を抱えている様を見ることになるとは思わなかった。その顔は、まるでこの世の終わりでも迎えたかのようだ。
「……話してしまったらいいのでは?」
「それはだめ」
そんなになるくらいなら、早々にネタバレをしてしまえばいいのじゃないかと思った芙蓉姫の意見を、しかし孔明はきっぱりと撥ね付ける。
「まだ準備が出来てない」
「……それは……、……でも、その前に花に本当に嫌われたら、意味がなくはありません?」
ぴしっ。
(あ、凍りついた。本当に弱ってるのねぇ、ありえないってわかるでしょうに)
ありえない、とわかっているのに言ってしまう芙蓉姫が意地悪なのではないか、というツッコミをしてくれる人材は、ここにはいない。
「そ、そんなこと」
「でも、私のところに来ていないということは、誰か別の……恐らくは、殿方のところにいらっしゃる可能性が」
ぴしぴしっ。
(……うわぁ、おもしろい……)
「で、万が一、万が一があったりして」
「しないよ」
(……え?)
ひびが入って、もう割れてしまうぐらいを期待した芙蓉姫の意地悪な言葉に、しかし孔明はなぜかそこだけはきっぱりと否定した。
「それだけは、ありえないよ」
「……」
いつの間にか、顔がこげぱんから通常状態へ戻っている。ぱちりと目を瞬いた芙蓉姫は、それから、やれやれ、と言いたげに肩を竦めた。
「……準備は、明日には整いますから。それまでに、会える算段は、つけておいてくださいね?」
「わかってるよ。明日はよろしくね、芙蓉殿」
* * *
翌日。
孔明は深呼吸をしてから、部屋の扉に手をかけた。
例のものは、すでに芙蓉姫から受け取っている。……なにも問題は無い。会うことさえ可能ならば、悪い結末にはなりようがない。そうわかっていても、彼女の表情を想像すれば、足がすくんだ。
(全く、ボクは、いつからこんな風になっちゃったんだろうね)
今回だって、こんな風になるとは思っていなかったのだ。
隠しごとをしていることを、彼女が気付くところまでは、想定していた。
えいぷりるふーる、と彼女が言っていたあの日の、意趣返しのつもりもあった。
しかし、彼女をあんなふうに傷つけるつもりは無かった。あんな悲しい顔で、嫌い、だなどと言わせるつもりは、全く無かったのだ。
(どこで読み違えたのか、……、いや、それは、今はいい)
今は考えるときではなく、動くときだ。意を決して、扉を開ける。
ごんっ。
「……へ?」
「……っ」
「……花!?」
どうやら、思い切り扉を開けたせいで、扉の前にいた人物に、思い切りぶつけてしまったらしい――額を押さえて涙目になっているのは、間違いなく、孔明が今逢いに行こうとしていた少女だった。
「うわ、ご、ごめん!」
「い、いえ……」
予想外の出来事に、一瞬、気負っていた空気が解ける。いつものように彼女の額に触れてから、潤んだ目と視線が合って、状況を一気に思い出した。
「……っ」
「……す、すみません」
「……なんで君が謝るの。……会いに来て、くれたの?」
彼女が扉の前に居たということは、そういうことだ。先手を取られた、と思うと同時に、身体から力が抜けるほど、安心した。花は顔を隠すように伏せて、小さく頷く。それから、意を決したように口を開く。
「あの、ししょ」
「待って」
これ以上、彼女に先手をとられては、伏龍の名が泣くというものだ。
「中で話そう。……ボクもね、君に会いに行くところだったんだ」
* * *
椅子に座った花はいつもより縮こまっていて、彼女のこういうところが可愛らしいと思う。
お茶を淹れて差し出すと、恐縮したように受け取った。
「ありがとうございます」
「いえいえ。今日は仕事じゃないからね。ボクがおもてなししないと」
「そんな、」
困ったように眉を寄せる。机を挟んで向かい側に腰掛けると、彼女が緊張したように身体を竦めた。
「……昨日は、ごめん。怒らせるつもりじゃなかったんだ」
もう全ての道は見えたようなものだ。孔明がゆっくりと切り出すと、花は慌てて首を振った。
「いえ、私こそ、ひどいことを……」
「……たしかにあれは、ちょっと傷付いたけど。でも、自業自得だからね」
ちょっとどころではない自覚はあるけれど、男は格好つけていたい生き物なので。
「すみません、……師匠だって、私にいえないこと、いっぱいあって当たり前なのに」
「あ、そういう方向で自己完結するんだ」
なるほど、彼女の思考回路だとそうなるのか。
そうか、嫌われても役に立ちたいとか思っちゃう子だもんな。
「知りたくない?」
しかし今回は、そう完結されては困るので、わざと悪戯っぽく聞いてみた。花はむ、と眉を寄せて、それからすぐに、へにゃりと顔を崩した。
「……もちろん、知りたい、ですけど……」
「うんうん。そう言ってくれないと困る。ボクだって、君の隠し事に気付いたら、追求せずにはいられないと思うし」
どんな手を使ってでも探り当ててしまう自信がある自分が、ちょっと嫌だ。
「大したことのつもりじゃなかったんだ。でも、ほら、この間の……えいぷりるふーる? のこともあるし、少し君をびっくりさせよう、と思っただけで。君がやきもきするところを見てみたかった、というのも、勿論あるけど」
「……師匠……」
恨みがましい目をされた。
「あれは、あれで、お手打ちじゃなかったんですか」
「そう言わないでよ。……そういえば、昨日は何処に行ったの」
「え、……雲長さんのところに」
これは少し意外だった。芙蓉姫のところでなければ、兄のように慕っている玄徳辺りのところに行ったと思っていたのに……いや、それとも、年代の近い雲長の方が話しやすいのだろうか。なんにせよ、少しおもしろくない気分になる。……芙蓉姫に言ったように、なにもないと信じてはいるけど。
「そうなんだ。てっきり、芙蓉姫のところかと思ったよ」
「……芙蓉姫は、なにか、知っている気がして……」
驚いた。
同時に、納得した。孔明が多少強気で花の探りを跳ね除けられたのは、芙蓉姫が逃げ場になるだろうと思っていたからだった。しかし、花にとって、何かを知っている芙蓉姫は孔明側の人間で――逃げ場には、ならなかった。逃げ場を失ったものは、ふとしたことで爆発する。窮鼠猫を噛むというか。
「なるほど、だからか……。……侮ってたな」
「?」
「いやいや、ごめんね。……ちょっとやきもきさせて、思い切り吃驚させようと思ったんだけど」
孔明は軽く頭を掻いて、芙蓉姫との隠し事――小さな箱を、差し出した。
「……?」
「あげる。……開けてみて」
「……、……指輪?」
これが、芙蓉姫に相談して、手を回していた「隠し事」だった。細い銀に玉をあしらった、こちらでは珍しい簡素な意匠になっている。
「君の国では、指輪が証だと聞いて」
「証……?」
「結婚の、さ」
しばし呆然としていた花の顔が、みるみるうちに赤くなる。
「左手の薬指に、給金三か月分だっけ。おもしろい習慣だよね」
「そ、それ、芙蓉姫から?」
「うん。こちらでは派手な意匠のものが多いけど、君の国では、ずっとつけているから、細くて軽いものなんだろう?」
「……」
「……つけてくれる?」
じ、と見つめると、花はこれ以上ない程火照った頬のまま、小さく頷く。孔明は内心の安堵を気付かれないようにしながら、花の手をとった。
「ありがとう。……ボクがつけても?」
触れた指先は、細く滑らかだ。彼女の国は平和で、豊かなのだろう。ここよりもずっと。そんなことがわかる指だった。
「……」
簡素な意匠は、彼女の華奢な指によく似合う。ゆっくりと顔を近づけ、唇で触れた。
「……!」
「愛してるよ、花」
「……っ師匠は、ずるい、です」
「孔明さん」
「……」
くしゃりと花の顔が歪んで、じわりと涙が滲んだ。
ああ、君がここに居ることが、ボクにとってどれだけの幸福か――君は知らない。
ぎゅ、と、てを握り締める。
どうか。どうかこの指輪が、彼女の手から、失われることがないように――
* * *
「……なんで花は、こんな根暗冷血漢のところに行ったのかしら?」
「喧嘩を売りに来たのか」
「別に」
「……単に、歳が近いから、話しやすいというだけだろう。正直、迷惑だ」
「ほんとに冷血漢ね」
「犬も食わない類のことに、借り出されても困る」
「まぁ、今頃は元の鞘でしょう」
「……」
「何?」
「お前、全部知っていたんだろう」
「まあね。教えないけど」
「……」
「でも、あの二人はたまに喧嘩するくらいでいいのよ。じゃないとあの男、全く何も見せないんだから」
「……(それには同意するが、俺を巻き込まないで欲しい)」
「あ、なにその溜息。あーあーこれだから根暗は」
よくわからないところで終わる。
(とてもタイトルにあっていない……)
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二人とも喧嘩するな!(孔明)(前)
座敷童子かこいつは。
雲長は溜息とともに、部屋の隅に陣取った少女を見やった。
「……」
ぶすくれた顔のまま、椅子の上で膝を抱えている。
何かがあったのは確実だ。けれど、彼女はそれを語ろうとしない。
(――まぁ、大方の想像はつくが)
「……いつまでそうしている気だ」
「……」
無言の空気に堪えかねて、口火を切る。
しかし、返って来たのは、逃げるように顔を伏せる反応だけだった。
(……こいつは)
溜息も深くなろうというものだ。そもそも、なんでここに来たのかも判らない。逃げ込む先ならもっと適切な場所が――例えば芙蓉姫のところなど、いくらでもあるだろうに。
(それとも)
反応が返ってこない以上、どうしようもない。思いながらも、考えることはやめられない。
(その芙蓉姫から「も」、逃げているのか)
だとしたらますます厄介だ――自分を目の敵にしている少女の釣りあがった眼を思い出して、更に憂鬱になる。
「……花。……逃げたって、何も解決しないぞ」
これは早々に、ここから追い出してしまわねばなるまい。心に決めて、雲長はもう一度話を切り出した。
「……逃げてない」
もぞり、と身体が動いて、膝に埋められていた顔が上がる。
「私は、悪くないもん。逃げる理由が無いよ」
「……事情を知らねば、答えようが無いな。何があった」
「……」
「どうせ、孔明殿が絡んでいるのだろう?」
色事の相談など、どう考えても柄ではない。直截な物言いしか出来ないのも容赦しろよ、と内心で付け加えて、雲長はずばりとその名を出した。
「……! し、師匠は」
「関係ないのか」
「関係あるけど、……」
花は僅かにいい澱み、やがて、観念したように視線を下げた。
「師匠が。……私に、なにか隠してて。でも、教えてくれないんだ」
「……それで」
「……それだけなんだけど」
それだけかよ!
意志の力で突っ込みを押さえつけた雲長の前で、でも、と花は言葉を続ける。
「師匠なら、私に隠してることを気付かせない事だって、出来るはずなんだ。なのに私が気付いちゃうって事は、気付かせたかったってことで、じゃあなんで隠し事があるって気付かせたかったんだろうって考え始めたら、わけがわからなくなってきちゃって」
「……」
「聞いて欲しいのかと思ったら、何も隠してないなんて言うし。……芙蓉姫は何か知ってるみたいだし。どうしていいのかわかんなくて」
「……で?」
「……師匠なんて嫌い、って言って、出てきた……」
最悪だ。
これが所謂、売り言葉に買い言葉という奴なのだろう。花は感情的になる性質ではない筈だが、その彼女をしてそう言わせたとしたら、孔明の対応は余程不味かったに違いない。天下の伏龍ともあろうものが、と思えば微笑ましくもあるが、しかし。
「それは、お前は悪くないのか」
「……、悪くないよ。隠し事、する方が悪い」
「それはそうかもな。じゃあ、もう孔明殿のことは嫌いになったから、このままでいいと」
「……」
わざと冷たく言った雲長の前で、花の顔がへにゃり、と歪んだ。
「このままで、いいと?」
「……よくない……」
「だろう。じゃあ、やることは決まっているのではないか?」
「……」
僅かの沈黙の後に、不承不承、と言いたげに、頷く。
安堵の息を吐く雲長の前で、花はゆっくりと立ち上がった。
***
後編(孔明編)につづく。
雲長は溜息とともに、部屋の隅に陣取った少女を見やった。
「……」
ぶすくれた顔のまま、椅子の上で膝を抱えている。
何かがあったのは確実だ。けれど、彼女はそれを語ろうとしない。
(――まぁ、大方の想像はつくが)
「……いつまでそうしている気だ」
「……」
無言の空気に堪えかねて、口火を切る。
しかし、返って来たのは、逃げるように顔を伏せる反応だけだった。
(……こいつは)
溜息も深くなろうというものだ。そもそも、なんでここに来たのかも判らない。逃げ込む先ならもっと適切な場所が――例えば芙蓉姫のところなど、いくらでもあるだろうに。
(それとも)
反応が返ってこない以上、どうしようもない。思いながらも、考えることはやめられない。
(その芙蓉姫から「も」、逃げているのか)
だとしたらますます厄介だ――自分を目の敵にしている少女の釣りあがった眼を思い出して、更に憂鬱になる。
「……花。……逃げたって、何も解決しないぞ」
これは早々に、ここから追い出してしまわねばなるまい。心に決めて、雲長はもう一度話を切り出した。
「……逃げてない」
もぞり、と身体が動いて、膝に埋められていた顔が上がる。
「私は、悪くないもん。逃げる理由が無いよ」
「……事情を知らねば、答えようが無いな。何があった」
「……」
「どうせ、孔明殿が絡んでいるのだろう?」
色事の相談など、どう考えても柄ではない。直截な物言いしか出来ないのも容赦しろよ、と内心で付け加えて、雲長はずばりとその名を出した。
「……! し、師匠は」
「関係ないのか」
「関係あるけど、……」
花は僅かにいい澱み、やがて、観念したように視線を下げた。
「師匠が。……私に、なにか隠してて。でも、教えてくれないんだ」
「……それで」
「……それだけなんだけど」
それだけかよ!
意志の力で突っ込みを押さえつけた雲長の前で、でも、と花は言葉を続ける。
「師匠なら、私に隠してることを気付かせない事だって、出来るはずなんだ。なのに私が気付いちゃうって事は、気付かせたかったってことで、じゃあなんで隠し事があるって気付かせたかったんだろうって考え始めたら、わけがわからなくなってきちゃって」
「……」
「聞いて欲しいのかと思ったら、何も隠してないなんて言うし。……芙蓉姫は何か知ってるみたいだし。どうしていいのかわかんなくて」
「……で?」
「……師匠なんて嫌い、って言って、出てきた……」
最悪だ。
これが所謂、売り言葉に買い言葉という奴なのだろう。花は感情的になる性質ではない筈だが、その彼女をしてそう言わせたとしたら、孔明の対応は余程不味かったに違いない。天下の伏龍ともあろうものが、と思えば微笑ましくもあるが、しかし。
「それは、お前は悪くないのか」
「……、悪くないよ。隠し事、する方が悪い」
「それはそうかもな。じゃあ、もう孔明殿のことは嫌いになったから、このままでいいと」
「……」
わざと冷たく言った雲長の前で、花の顔がへにゃり、と歪んだ。
「このままで、いいと?」
「……よくない……」
「だろう。じゃあ、やることは決まっているのではないか?」
「……」
僅かの沈黙の後に、不承不承、と言いたげに、頷く。
安堵の息を吐く雲長の前で、花はゆっくりと立ち上がった。
***
後編(孔明編)につづく。
孟徳GOODその後とか(孟徳)
(孟徳GOOD後、ハーレムとかの話があるのでご注意をば)
「さて、と」
うーん、と身体を伸ばした孟徳が、にぱっ、とでも言いたげに満開に笑う。
文若は嫌な予感を覚えて、眉を寄せた。
「……丞相、まだ」
「花ちゃんが回復するのに合わせて、式の準備をしないとね!」
「……」
詰まれた巻物の山を一顧だにせずに立ち上がった孟徳は、傍から見ても明白なほどに浮かれている。
彼女が目を覚ましてからはずっとこうだ。彼女の意識が無い間は間で、孟徳の方が死にそうな顔をしていたから、それに比べればマシだと皆は言う。それは確かだと文若も思うが。
……思うのだが。
(これはどう見ても、浮かれすぎだ)
眉間の皺は深くなり、溜息は重くなる。
だからこそ次の言葉は、文若なりの、僅かな意趣返しのつもりだった。
「式も宜しいですが。……彼女はあの館に?」
「へ?」
あの館、とは、孟徳が多くの女性を囲っている館のことだ。孟徳ほどの男となれば、妾の数人どころか数十人は、珍しい話ではない。
しかし孟徳は何を言われているかわからないように目を瞬いて文若を見た。
「……あー、そうか。言ってなかったっけ」
「はい? 何をですか?」
「うん。あそこね。解散することにしたから」
「……は?」
解散ってなんだ。バンドか。
思わずキャラクターに似合わない(どころか、そもそも時代が違う)突っ込みをしそうになった文若の前で、孟徳はあっけらかんとした笑顔のままで続ける。
「勿論、ただ放り出すわけじゃないけど。……やっぱりこのままなのは、皆に悪いしさ」
「……」
孟徳は多く女を囲ったが、まだ子はない。また、女はみな美しい容姿をしている。次の奉公先やらを探すことは難しくないだろう。――しかし。
「……そこまでなさるとは、思いませんでした」
「うん。俺も思わなかったよ」
自らで自らに驚いたように頷く姿は、とても本気とは思えない。けれど彼があの小さい少女のために、もはやなんでもするであろうことは、この軍の誰にとっても明白だった。
「……彼女は、何も言わないと思いますが」
「そうかもね。でも俺は、もう彼女を傷つけないって、決めたからさ」
我慢できるってことは、傷付かないってこととは、違うでしょ。
先程から孟徳が言う言葉は、彼が言うには余りにも優しい。
「不思議だよね。ただ放り出したら怒るだろうなって思ったりさ。あの子の事ばっかり考えちゃうんだ」
「……たしかに、不思議な娘です」
文若もまた、彼女を助手として置くうちに、彼女の持つ何か不思議な、周りを柔らかにするような空気を感じ取ってはいる。思い出しながら同意した文若の前で、孟徳はぱちりと目を瞬き、ふと剣呑に眉を寄せた。
「お前が女の子をそんな風に言うなんて、珍しいじゃないか」
「……? そうですか? ……それくらいには、不思議な娘だということでしょう」
孟徳が随分と柔らかいことばかり言ったせいで、文若は僅かに変わった空気に気付かなかった。それどころか、僅かに笑みまで浮かべてしまう。
「……へーえ」
「……、……丞相?」
「もしかして、掃除が必要なのは、館だけじゃなかったのかなぁ」
聡い文若にしては随分と遅い――それは致命的な遅れだった。文若を見た孟徳は、変わらぬ笑顔に見えるけれど――笑っていないのが、文若には判る。
「……丞相、」
口元が引き攣る。この程度も流せないのですか、と、文若の中の悪魔が口に出させそうになるが、それを言ったが最後首が繋がっている気がしない。
しかし、そもそも孟徳の女関係になど興味のなかった文若は、この手の話で怒る孟徳、というものを長い付き合いではじめて目にしたのだ。対処法もわからない。
(それでなくても、私はこの手の話が苦手だというのに)
嫌な蛇を出してしまった――内心で叫んだ助けを求める声に呼応するように、扉が叩かれた。
「孟徳。俺だが」
(助かった……!)
「……入れ」
胸を撫で下ろす文若の前で、元譲が部屋へ入ってくる。同じく孟徳と付き合いの長い元譲である、流れる空気の微妙さにはすぐに気付いたのだろう。あからさまに面倒そうに眉を寄せた。
「また何か、無茶を言ったのか。程々にしろ」
「……なんで俺が悪いって決め付けるかなぁ」
「そりゃ大概はお前が悪いからだ。……医者がそろそろ、外に出てもよいと言っていたぞ」
「え、本当?」
ぱあっ、と、花が咲いたように孟徳が顔を輝かせる。
「ああ、体力を戻すためにも、散歩などしたほうがいいと」
「そうか! じゃ、明日早速庭に誘おう。晴れるかな。晴れるといいな」
うきうきと窓を見やる姿は、先程の姿とはまるで別人だ。文若は半ば唖然と孟徳を見る。そして同じく孟徳を見ている元譲と、目が合った。
(……どうにかしてください、これ)
(俺には無理だ、というか、もう誰にも無理だ)
「……何、目と目でわかりあってるのかな」
「いえいえ、何でもありませんとも」
「ああ、色ボケだなどど思ってもいないぞ」
二人は引き攣った顔で、揃って首を横に振る。
とにもかくにも、我が君主が丸くなったことは喜ばしい筈だ――悋気など、目をつぶれる程度のものだ。そう自分に言い聞かせながら。
「さて、と」
うーん、と身体を伸ばした孟徳が、にぱっ、とでも言いたげに満開に笑う。
文若は嫌な予感を覚えて、眉を寄せた。
「……丞相、まだ」
「花ちゃんが回復するのに合わせて、式の準備をしないとね!」
「……」
詰まれた巻物の山を一顧だにせずに立ち上がった孟徳は、傍から見ても明白なほどに浮かれている。
彼女が目を覚ましてからはずっとこうだ。彼女の意識が無い間は間で、孟徳の方が死にそうな顔をしていたから、それに比べればマシだと皆は言う。それは確かだと文若も思うが。
……思うのだが。
(これはどう見ても、浮かれすぎだ)
眉間の皺は深くなり、溜息は重くなる。
だからこそ次の言葉は、文若なりの、僅かな意趣返しのつもりだった。
「式も宜しいですが。……彼女はあの館に?」
「へ?」
あの館、とは、孟徳が多くの女性を囲っている館のことだ。孟徳ほどの男となれば、妾の数人どころか数十人は、珍しい話ではない。
しかし孟徳は何を言われているかわからないように目を瞬いて文若を見た。
「……あー、そうか。言ってなかったっけ」
「はい? 何をですか?」
「うん。あそこね。解散することにしたから」
「……は?」
解散ってなんだ。バンドか。
思わずキャラクターに似合わない(どころか、そもそも時代が違う)突っ込みをしそうになった文若の前で、孟徳はあっけらかんとした笑顔のままで続ける。
「勿論、ただ放り出すわけじゃないけど。……やっぱりこのままなのは、皆に悪いしさ」
「……」
孟徳は多く女を囲ったが、まだ子はない。また、女はみな美しい容姿をしている。次の奉公先やらを探すことは難しくないだろう。――しかし。
「……そこまでなさるとは、思いませんでした」
「うん。俺も思わなかったよ」
自らで自らに驚いたように頷く姿は、とても本気とは思えない。けれど彼があの小さい少女のために、もはやなんでもするであろうことは、この軍の誰にとっても明白だった。
「……彼女は、何も言わないと思いますが」
「そうかもね。でも俺は、もう彼女を傷つけないって、決めたからさ」
我慢できるってことは、傷付かないってこととは、違うでしょ。
先程から孟徳が言う言葉は、彼が言うには余りにも優しい。
「不思議だよね。ただ放り出したら怒るだろうなって思ったりさ。あの子の事ばっかり考えちゃうんだ」
「……たしかに、不思議な娘です」
文若もまた、彼女を助手として置くうちに、彼女の持つ何か不思議な、周りを柔らかにするような空気を感じ取ってはいる。思い出しながら同意した文若の前で、孟徳はぱちりと目を瞬き、ふと剣呑に眉を寄せた。
「お前が女の子をそんな風に言うなんて、珍しいじゃないか」
「……? そうですか? ……それくらいには、不思議な娘だということでしょう」
孟徳が随分と柔らかいことばかり言ったせいで、文若は僅かに変わった空気に気付かなかった。それどころか、僅かに笑みまで浮かべてしまう。
「……へーえ」
「……、……丞相?」
「もしかして、掃除が必要なのは、館だけじゃなかったのかなぁ」
聡い文若にしては随分と遅い――それは致命的な遅れだった。文若を見た孟徳は、変わらぬ笑顔に見えるけれど――笑っていないのが、文若には判る。
「……丞相、」
口元が引き攣る。この程度も流せないのですか、と、文若の中の悪魔が口に出させそうになるが、それを言ったが最後首が繋がっている気がしない。
しかし、そもそも孟徳の女関係になど興味のなかった文若は、この手の話で怒る孟徳、というものを長い付き合いではじめて目にしたのだ。対処法もわからない。
(それでなくても、私はこの手の話が苦手だというのに)
嫌な蛇を出してしまった――内心で叫んだ助けを求める声に呼応するように、扉が叩かれた。
「孟徳。俺だが」
(助かった……!)
「……入れ」
胸を撫で下ろす文若の前で、元譲が部屋へ入ってくる。同じく孟徳と付き合いの長い元譲である、流れる空気の微妙さにはすぐに気付いたのだろう。あからさまに面倒そうに眉を寄せた。
「また何か、無茶を言ったのか。程々にしろ」
「……なんで俺が悪いって決め付けるかなぁ」
「そりゃ大概はお前が悪いからだ。……医者がそろそろ、外に出てもよいと言っていたぞ」
「え、本当?」
ぱあっ、と、花が咲いたように孟徳が顔を輝かせる。
「ああ、体力を戻すためにも、散歩などしたほうがいいと」
「そうか! じゃ、明日早速庭に誘おう。晴れるかな。晴れるといいな」
うきうきと窓を見やる姿は、先程の姿とはまるで別人だ。文若は半ば唖然と孟徳を見る。そして同じく孟徳を見ている元譲と、目が合った。
(……どうにかしてください、これ)
(俺には無理だ、というか、もう誰にも無理だ)
「……何、目と目でわかりあってるのかな」
「いえいえ、何でもありませんとも」
「ああ、色ボケだなどど思ってもいないぞ」
二人は引き攣った顔で、揃って首を横に振る。
とにもかくにも、我が君主が丸くなったことは喜ばしい筈だ――悋気など、目をつぶれる程度のものだ。そう自分に言い聞かせながら。
お前のモノじゃない、俺のモノでもない(玄徳)
「孔明、いいか」
「……玄徳さん? はい、今開けますね」
扉を叩くと、軍師の間の抜けた声ではなく、弟子の方の声が聞こえた。献帝を長安に迎え入れて以来どこも慌しいが、この師弟も例外ではないらしい。ずっとぎこちない空気を宿していた花の声も、今回ばかりは昔と変わらず響いた。
(……この程度で嬉しいなんて、どうかしている)
扉を開けてこちらを見た顔も、雑務に忙殺されているせいか、ただ疲れが目立つのみだ。
「孔明殿に相談したいことがあってな。……、花は」
会えて嬉しい、と、素直に思う。けれど、孔明への用事は、けして彼女の前では語ることの出来ないものだった。ちらりと花に視線を投げた玄徳に、孔明もすぐに察したのだろう。花に三つほど巻物を渡すと、「これを雲長殿のところに」と、おつかいという名目を与えてくれた。
「……すまんな、気を使わせて」
花が部屋を出て行くのを見届けてから、苦い溜息をつく。孔明は軽く肩を竦めて答えた。
「私とて、弟子の泣く顔は余り見たくないですから、例えあと僅かの期間と言ってもね」
「……」
孔明は知っているのか、と。驚きが顔に出たのだろう。孔明はいつもの腹の読めない表情のまま、言葉を重ねる。
「花は、ボクが知っていることを、知らないでしょうが。……彼女の望みは叶った」
「……帝か」
彼女は、過去で救うことの出来なかった献帝に、ひどく執心していた。あのような別れ方をすれば、仕方が無いのかと思う。しかしそれは、一度ならず二度までも、献帝を救えなかった自分の方が強い思いであるはずだった。
(……そのはずだった、のに)
思いに沈む玄徳に孔明が向けた視線は、憐憫のようなものを含んでいた。孔明はもう一度肩を竦めると、「本題に入りましょうか、」と、玄徳の思考を打ち切った。
「奥様の件でしょう。奥様というのには、どうも抵抗がありますがね」
「……ああ。今回の件で、動くだろうか」
「動くでしょうね」
献帝が玄徳、孟徳、仲謀にそれぞれ位を与えたことで、天下三分が成ったことになる。中原制覇を掲げる孟徳、仲謀にとって、いい結果であるとは言いがたい。天下三分がなったからこそ、こちらとの同盟を軽んじる動きが出てきても、可笑しくはない。
ここで玄徳が倒れれば、三分の一角は瓦解する。天秤は容易く傾き、また、戦乱の時代が訪れるだろう。
「それも、早急に。安定してからでは、遅いですからね。警備の兵を増やしましょう。奥様を決して一人になさらぬよう」
「そうだな、どこに累が及ぶか判らん」
あくまで狙いは玄徳ではあるが、城に馴染んだ偽の花嫁がどんな手段に出るかはわからない。人質を取る可能性もある。その場合真っ先に狙われるのは、無論、力を持たない彼女だろう。
「……そう考えると、彼女は、はやく帰った方がいいのかもしれませんね」
孔明も同じ思考に至ったのだろう。淡々と語る声に弟子を案じる色は余り浮かんではいなかったが、彼が誰よりも彼女を大切にしていることは、少し見ていれば容易に知れる。
「……そうだな」
彼女の身を考えれば、同意するしかない言葉だ。しかし、知略を誇る玄徳軍の軍師は、滲む苦さを見逃してはくれなかった。
「帰したく、ないですか」
「……」
頷くことは、できなかった。けれど、沈黙は肯定だった。孔明は彼にしては珍しい優しい笑みを浮かべて、玄徳を見た。
「玄徳様。……弟子を泣かせたら、許しませんよ」
「……まるで、彼女の保護者のようなことを言うんだな」
「ええ、保護者のようなものですから」
「随分と放っておいたくせに。……彼女は、お前のモノでも、俺のモノでも、ないだろう」
彼女は、いずれ帰る、彼女の世界のモノだ。
玄徳は小さく呟いた。彼女を危ない状況に置いておきたくはない。彼女に幸せになってほしい。彼女に、笑っていて欲しい――その全てが、玄徳の傍では叶わず、彼女の世界では叶うだろう。そう、随分と、彼女の笑顔を見ていない――改めてそんなことに気がついて、玄徳はもう、自分には彼女のなにを望むことすら許されていないのだ、と、苦笑した。
* * *
玄徳が沈んだ様子で立ち去るのを見送って、孔明は身体を伸ばした。
花が戻ってくるまで、あと数刻はあるだろう。聡い彼女は、自分が追い出されたことに気付いたはずだ。そして恐らくは、自分が玄徳に嫌われているという誤解でまた、身動きが取れなくなっている。
「……彼女の望み、か」
玄徳は、帝、と言った。それは、間違いではないだろう。けれど同時に、どうしようもない誤解でもある。
彼女の本が無ければ、玄徳は恐らく、命を落としていたのだろう。彼女の望みはなによりも、その未来を変えることにあった。
「……絶対に、教えたりはしないけど」
だって玄徳は、きっと、彼女を泣かせるから。
だからその代償にもっと、もっともっと、悩めばいい。
彼女はボクのモノではない。そんなこと、思えばあの遠い昔から、わかりきっていたことだったのだ。
扉を叩く控えめな音で、孔明は顔にいつもの余裕を貼り付けた。
彼女の顔は、暗く沈んでいるだろう。孔明に出来ることは、たくさんの仕事で、その陰りを忙殺してしまうことだけだった。
「……玄徳さん? はい、今開けますね」
扉を叩くと、軍師の間の抜けた声ではなく、弟子の方の声が聞こえた。献帝を長安に迎え入れて以来どこも慌しいが、この師弟も例外ではないらしい。ずっとぎこちない空気を宿していた花の声も、今回ばかりは昔と変わらず響いた。
(……この程度で嬉しいなんて、どうかしている)
扉を開けてこちらを見た顔も、雑務に忙殺されているせいか、ただ疲れが目立つのみだ。
「孔明殿に相談したいことがあってな。……、花は」
会えて嬉しい、と、素直に思う。けれど、孔明への用事は、けして彼女の前では語ることの出来ないものだった。ちらりと花に視線を投げた玄徳に、孔明もすぐに察したのだろう。花に三つほど巻物を渡すと、「これを雲長殿のところに」と、おつかいという名目を与えてくれた。
「……すまんな、気を使わせて」
花が部屋を出て行くのを見届けてから、苦い溜息をつく。孔明は軽く肩を竦めて答えた。
「私とて、弟子の泣く顔は余り見たくないですから、例えあと僅かの期間と言ってもね」
「……」
孔明は知っているのか、と。驚きが顔に出たのだろう。孔明はいつもの腹の読めない表情のまま、言葉を重ねる。
「花は、ボクが知っていることを、知らないでしょうが。……彼女の望みは叶った」
「……帝か」
彼女は、過去で救うことの出来なかった献帝に、ひどく執心していた。あのような別れ方をすれば、仕方が無いのかと思う。しかしそれは、一度ならず二度までも、献帝を救えなかった自分の方が強い思いであるはずだった。
(……そのはずだった、のに)
思いに沈む玄徳に孔明が向けた視線は、憐憫のようなものを含んでいた。孔明はもう一度肩を竦めると、「本題に入りましょうか、」と、玄徳の思考を打ち切った。
「奥様の件でしょう。奥様というのには、どうも抵抗がありますがね」
「……ああ。今回の件で、動くだろうか」
「動くでしょうね」
献帝が玄徳、孟徳、仲謀にそれぞれ位を与えたことで、天下三分が成ったことになる。中原制覇を掲げる孟徳、仲謀にとって、いい結果であるとは言いがたい。天下三分がなったからこそ、こちらとの同盟を軽んじる動きが出てきても、可笑しくはない。
ここで玄徳が倒れれば、三分の一角は瓦解する。天秤は容易く傾き、また、戦乱の時代が訪れるだろう。
「それも、早急に。安定してからでは、遅いですからね。警備の兵を増やしましょう。奥様を決して一人になさらぬよう」
「そうだな、どこに累が及ぶか判らん」
あくまで狙いは玄徳ではあるが、城に馴染んだ偽の花嫁がどんな手段に出るかはわからない。人質を取る可能性もある。その場合真っ先に狙われるのは、無論、力を持たない彼女だろう。
「……そう考えると、彼女は、はやく帰った方がいいのかもしれませんね」
孔明も同じ思考に至ったのだろう。淡々と語る声に弟子を案じる色は余り浮かんではいなかったが、彼が誰よりも彼女を大切にしていることは、少し見ていれば容易に知れる。
「……そうだな」
彼女の身を考えれば、同意するしかない言葉だ。しかし、知略を誇る玄徳軍の軍師は、滲む苦さを見逃してはくれなかった。
「帰したく、ないですか」
「……」
頷くことは、できなかった。けれど、沈黙は肯定だった。孔明は彼にしては珍しい優しい笑みを浮かべて、玄徳を見た。
「玄徳様。……弟子を泣かせたら、許しませんよ」
「……まるで、彼女の保護者のようなことを言うんだな」
「ええ、保護者のようなものですから」
「随分と放っておいたくせに。……彼女は、お前のモノでも、俺のモノでも、ないだろう」
彼女は、いずれ帰る、彼女の世界のモノだ。
玄徳は小さく呟いた。彼女を危ない状況に置いておきたくはない。彼女に幸せになってほしい。彼女に、笑っていて欲しい――その全てが、玄徳の傍では叶わず、彼女の世界では叶うだろう。そう、随分と、彼女の笑顔を見ていない――改めてそんなことに気がついて、玄徳はもう、自分には彼女のなにを望むことすら許されていないのだ、と、苦笑した。
* * *
玄徳が沈んだ様子で立ち去るのを見送って、孔明は身体を伸ばした。
花が戻ってくるまで、あと数刻はあるだろう。聡い彼女は、自分が追い出されたことに気付いたはずだ。そして恐らくは、自分が玄徳に嫌われているという誤解でまた、身動きが取れなくなっている。
「……彼女の望み、か」
玄徳は、帝、と言った。それは、間違いではないだろう。けれど同時に、どうしようもない誤解でもある。
彼女の本が無ければ、玄徳は恐らく、命を落としていたのだろう。彼女の望みはなによりも、その未来を変えることにあった。
「……絶対に、教えたりはしないけど」
だって玄徳は、きっと、彼女を泣かせるから。
だからその代償にもっと、もっともっと、悩めばいい。
彼女はボクのモノではない。そんなこと、思えばあの遠い昔から、わかりきっていたことだったのだ。
扉を叩く控えめな音で、孔明は顔にいつもの余裕を貼り付けた。
彼女の顔は、暗く沈んでいるだろう。孔明に出来ることは、たくさんの仕事で、その陰りを忙殺してしまうことだけだった。